しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

専業家事・育児担当者と兼業外貨獲得担当者のカップルの話から考えたこと

うちは私も夫も正職員としてフルタイムで働いています。

私が普段話をするのは主に会社の人達なので、「仕事をしている人」です。

先日「専業家事・育児担当者」の女性(Aさん)と話をし、普段自分が話をしない分野の人と話した事で色々思う所があったので、そこで考えた事について書きます。

 

「専業主婦」と敢えて書かないのは、「主婦ってつまりどういうことだろう?」と考えた時に、「家事・育児を担当する人ってこと、かなぁ」と思ったからです(実際にはもっと色々ある訳ですが。マルチな能力を求められる非常に複雑な仕事ですよね)。

Aさんは現在家事・育児を行っており外貨獲得はしていないため「専業家事・育児担当者」と言えるのかなと思いました。

Aさんの旦那さん(Bさん)は現在会社員として稼働しているので「外貨獲得担当者」と言えるかなと思いました。

ただ、Aさんという「専業家事・育児担当者」がいるからと言って、それはAさんが「外貨獲得手段を得ていないから『専業』と言われている」だけで、別に「夫婦においてAさんだけが専任で家事・育児をする訳では無い。と言うか、それはおかしいだろう」と思うんですよね。Bさんも、家に帰れば「家事・育児担当者」という役割は発生するだろう、と。

という訳で、Bさんは「(家事・育児との)兼業外貨獲得担当者」と言えるのかなぁ、と思いました。家事代行を頼んでいない限り、「専業外貨獲得担当者」はいないのかなぁと。育児に関しては「代行者にまかせきること、夫婦のうち片方が専業すること」はありえないでしょうし。

 

私の友人は男性より女性の方が多いので、専業・兼業に関わらず今まで女性側の意見を聞くことが多かったです。

ご夫婦の関係性について聞くと「上手くいっている」と感じている人もいれば、「上手くいっていない」と感じている人もいます。「上手くいっていない」という人達に共通する事は何かなぁ、と考えてみたら「対等・平等な感じがしない」ということかなぁ、と思いました。

 

「不平等」については、兼業の方からは「①同じぐらい働いているのにどうして自分の方が家事の割合が多いのか」という話を聞くことが多いです。

専業の方からは「②旦那は仕事は休みの日は『休み』として過ごしているのに自分には『休み』が無い」「③家事・育児を『外貨労働』より低く見られている」「④家事・育児に対する『報酬』が無い」という話を聞く事が多いです。

 

①の「同じぐらい働いているのにどうして自分の方が家事の割合が多いのか」については私も謎だなと昔から思っていました。同じ働き方をしているなら家の中の事は半分こする、少なくとも多くやってもらった分にはそれに見合う感謝を述べるのがいいのではないかなぁと思っていました。

あと、女性の多くはそれまでの生活の中で「本来家事は女性がやるべきだ」という価値観を刷り込まれているので、「家事をする」のが「普通」の基準になっていて「家事をしない自分」に対して罪悪感を覚える率が、男性より高い気がしています(男性は逆に「やらないのが『普通』だからやったらむしろ『すごい』になる)。なので、「家事ができていない状態」だと、男性より女性の方が「相手に対する罪悪感を感じる率は高い」んじゃないかな~と。私はまさにそれです。

 

②の「旦那は仕事は休みの日は『休み』として過ごしているのに自分には『休み』が無い」については夫婦で話し合いが必要なのかなと思いました。

まずお子さんがいるご家庭については「育児」については誰かに預かってもらったりしない限り「完全休業日」は無いので「外貨獲得担当者」の休業日に育児の分担をどうするか、という事を話し合わないといけないのだろうな、と。

専業の育児担当者がいる場合、兼業者より専業者の方が手技に長けていたり子どもとの関係性が親密な可能性は高いと思います。ただ、「だからと言って全て専業者に任せる」というよりは「専業者から手技を学んだり」「日常的に触れ合っていない人だからこそできる子どもとの関わり方」や「専業担当者に依頼して、日頃から子どもと兼業者の間に溝ができないよう配慮してもらう。配慮してもらった事に関しては感謝を伝える」のがいいのではないかな、と思いました。もちろん「専業担当者は、日頃から子ども達に対して外貨獲得担当者がいることのありがたさを伝えること」も大切だろうな、と。

 

お子さんがいないお家でも、「家事」は生活する限り発生すると思います。そもそも「家事」には終わりがないので…

なので、「休業日の家事をどうするか」は「どのレベルでの達成度を目指すか」も含めてよくよく話し合う必要があるんだろうなぁと思いました。

(ちなみに我が家はおそらくレベルの設定が低く、適宜半分ずつ分担する、というスタイルです)

 

③の「家事・育児を『外貨労働』より低く見られている」のは残念なことだなぁと思います。なぜそういう現象がおこるのかなぁ、と考えてみると「家事・育児について詳しいことを知らない」からなのかなぁと思いました。「知らない国の人の事は『危ない奴らだと感じる』みたいなのと似ているのかな、と。知識・想像力の欠如による理解不足。

 

そして、「家事・育児はある程度ハイレベルの事が何も習わなくてもできるのが普通である」というものすごい誤解が割と一般的にまかり通っているんじゃないかしら、と思いました。

家事だって育児だって「生まれた時に身についているもの」ではなく、学習・訓練によって身につくものなので「何もしてこなかったなら『できない』のが普通。できているとしたらその人がどこかで努力したからなのだ」と思います。その「努力」の部分を「性差」という言葉でごまかそうとしている人も多いのかなぁ、と。

 

育児に関しては、実際に自分でやっていない人が「このぐらいの年の子にはこのぐらいの事を身につけさせられて普通だろう」みたいな言い方をする方も多いみたいなんですが、その基準を聞いてみると「いや、普通に考えてその年齢に対するハードルとしては高すぎるよ」という内容な事が多いです。つまり子どもの発達に対する知識が不足しているんだろうなぁと。

 

乳幼児の事を「泣かせるな」とか「散らかさせるな」と旦那さんから言われるという話も割と聞きます。「子どものために、そうさせない方がいい」と言うよりは「自分にとって都合が悪いからやめさせろ」という場合が多いようですが。

もし電車とかで誰かにそういう風に言わせた時「申し訳ないですが私は至らぬ人間なものでまだその能力を持っていないんです。ぜひ参考にしたいので暴言・暴力以外の方法で見本を見せていただけませんか」と言ったら、どんな風にしてみせてくれるものなんだろうな~とかよく思います。実際は言えないでしょうけど。すごい回答をくれる人っているのかな??

 

「子どもに一回言ってもなおらない、覚えない」と怒る人も多いらしいんですが、一回言ってなおる、覚えるならみんな東京大学に入ってオリンピックに出てるし、刑務所は無いんじゃないだろうか、と思います(そもそもどうして「親が言った事を全て実行しないといけないんだよ」という風にも思いますし)。大人でも「一回言ったらなおる、覚える」事が可能な人は人この世に1人もいないですし、非合理的なお願いだよな~と思います。

 

④の「家事・育児に対する『報酬』が無い」というのは昨年末の「逃げるは恥だが役に立つ」を見て色々考えたテーマの一つです。

この報酬というのは1つは「外貨」です。自分で外貨を得られないというのは私にとっては不安で仕方がないことなので、専業家事・育児担当者はすごいなぁと思います。

逆に、兼業外貨獲得担当者で専業家事・育児担当者の事を「気楽でいいなぁ」という人には「あなたは自分で外貨を得られないという状況に耐えられる心を持っているのですか」と聞いてみたい。もしかしたら外貨担当が病気や事故で働けなるかもしれない、「誰が稼いでると思ってるんだ」なんて心無い言葉を言ってくる日がくるかもしれない、という不安に立ち向かえるだけの心を、少なくとも私は持っていません。

 

もう1つの報酬は「ねぎらい」なんだと思います。むしろ、ほぼ100%であろう外貨が得られないタイプの家事・育児担当者にとって報酬は「ねぎらい」しか無いとも言えると思っています。ここが無かったら逃げ恥で言う所の「完全なる労働力の搾取」です。

そして外貨獲得担当者の家事・育児に対する理解が不足していると「高いレベルの事をやって『当然・普通』だと思われている。基準に達していない時は叱責の言葉をかけてくれるが、やった時に労いの声をかけてくれる事はほぼ皆無である」という事体が発生してしまう。

 

もちろんそれはそれで「もっと労いの言葉をかけてあげて!!」とは思っているのですが、AさんからBさんの話を聞いているうちにBさん、つまり外貨獲得担当者は外貨獲得担当者で大変なのかなぁとも思いました。

 

よく、「専業主婦は旦那から褒められなかったら誰からも認めてもらえないのに、旦那が褒めてくれないのはひどい」と聞きます。ひどいことだと思います。私も友達と一緒になって「ひどい旦那さんだ!!」とプリプリすることもあります。

 

ただ、割と多くの会社では、社員同士に褒め合ったり認め合う文化が浸透していないとも聞きます。もし外貨獲得担当者さんがそういう会社で働いているのだとしたら。

専業家事・育児担当者は「1/1の他者から褒められなくて、認められなくて、つらい」。

外貨獲得担当者は「たくさんの他者と触れ合っているにも関わらず、誰からも褒められなくて、認められなくて、つらい」。

どちらがつらいとは比べられない、どちらもつらい話だなぁと思いました。

お子さんと専業家事・育児担当者の関係が良好な場合、外貨獲得者からしたら「そこはそこで楽しそうでいいじゃん。こっちなんか一日のうちで誰も褒めてくれない…家に帰ってきても感謝されてる感じがしない…悲しい!!怒り!!」となってしまうこともあるかもしれないなぁ、と思いました。

「いい年した大人がそんな小さい子みたいな事思うの?」と言う人もいますが、人間いくつになっても「大切にされたい」という気持ちは変わらないのではないかな、と私は思っています。

お互い十分な承認欲求が得られず不機嫌・不満が溜まっているない場合、お互いに対して非合理的なお願いをしてしまうようになるのかなぁと。心が満たされている時だったら、そんな非合理な事をもし言ってしまったとしても(あ、自分今随分無理な、アホみたいな事言っちゃったな。大人げなかったな)と思いやすいんじゃないかなぁ、なんて思います。

 

なので、やっぱり結論としては「お互いがお互いの役割を果たしてくれている、果たそうとしてくれている事に感謝して、感謝を伝えあうといいんじゃないかなぁ」と思いました。上手くいっているご家庭というのは、この辺りが上手く機能しているご家庭が多い気がします。

 

家庭だけでなく、職場でも同じことができた方がいいんじゃないかな、と思っています。私が今の仕事を好きだと思う理由のうち、「互いを褒め合う・認め合う文化がある」という部分はかなりの%を占めると思います。

気持ちよく仕事ができた方が、結果会社としても業績が上がっていいと思うんだけどなぁ。

 

我が家が今のところ割と上手くいっている(と、少なくとも私は思っている)のも、毎日朝から晩まで「旦那さんが存在してくれている」時点で感謝を伝えまくっているせいかな、と自分では思っています。

shinoeco.hatenablog.jp

 

ちなみに、我が家は「性別による不平等感」を感じることが0とまでは言いませんが(多分まだ不平等さに気づいていない事も多いと思うので)割と少ない方だとは思いますし、気が付いたことについては「これってよく考えたらおかしいと思うから今度から〇〇にしたいなぁ」言うようにしています。

旦那さんは提案したことについて理不尽に反論してくることも無いですし、そもそも旦那さんは私に「女なんだから~」と何かを言った事がありません。

そのことに気が付いたので、旦那さんに「家事等について私に『女らしさ』を求めているのか」と尋ねたところ「え?別に(家事は)自分でできるし。『どっちかの性別じゃないとできないこと』なんて体の機能以外の部分で(例えば育児における授乳とか)あるの?(なんでそんな事聞くの?不思議だなぁ)」との返答でした。そういう風に考えていたのか、と思いましたし、そういう風に考えてくれるところも旦那さんの好きなところだな、と思いました。

 

目新しい話では無いのですが、自分の言葉として書いてみたかったので書きました。

すっきりしました。ありがとうございました。