しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

普段のコミュニティから出て改めて気付いたこと

すごく漠然とした書き方をするので読む方には申し訳ないのですが

自分用の備忘録として書いておきます。

 

結論的には

普段所属している所の外に出ると、色んなことに気付くよね~

というすごくよくある話です。

 

 

私はとある事柄についてはAという考え方を持っていて

私が普段所属しているコミュニティでは同じような考え方をしている人が比較的多いのです。

ただ、日本全体で考えればAという考え方はおそらく一般的ではないのだろうなぁ、とは予想していました。

 

なので、私は自分以外のコミュニティの人達がその事柄についてどんな風に考えているのか知りたくて、色々なタイプの人が集まる会に参加してみて、その事柄についてどう考えているか聞いてみました。

 

そうしたらやっぱり予想していた通り、「私はそれについてはAだと思う」という人は少なかったんです。正直、思っていたより少なかった。メジャーな考え方ではないと思うけど、もう少しは多いかと思ったら、全然で…その事にショックを覚える自分もいました。でも、それが現実であるということを受け入れるところからまたスタートだなぁと思いました。

 

 

あと、私は仕事で色々な規模の会議や話し合いをすることが多いのですが、私を含めてうちの会社の人達は司会進行や会議を築き上げていくことがあまり得意ではないんじゃないのかな、と思っていたのです。他の社会人の人達はきっともっと上手くやっているんじゃないかなぁ、と。

 

が、今回参加した会、そして今年度プライベートで他にも仕事とは関係ない会に参加してみて思ったのは、「私が思っているほど、そういう事が得意な人は多くないのかもしれない」ということです。

 

そもそも、職種によっては会議や話し合いのようなものがほぼ無いこともあるでしょうし、例えそういう会に自分が参加していてもあまり主体的に参加している訳では無い、という方もいるのでしょうし。

「『何かを話し合う時に司会進行役・参加者がどういう事を意識するとその会が円滑で有意義なものになるかを意識する』という下地がその会においてほとんど無い」みたいなことも往々にしてあり得るのだなぁ、それは社会人になったからといって無条件に身につく訳では無いのだなぁ、と改めて思いました。

 

少なくとも、私が普段所属しているコミュニティの人々は「話し合うための下地」をある程度持っている人達なのだな~、ありがたいことだな~、ということも改めてわかりました。

 

やっぱりたまに普段全然接しないような人々と話をするというのは興味深いし、大切だな~と思いました。

と、同時に「 普段のコミュニティ」があるからこそ比較が可能なわけで、そういう所属を持てていることもありがたいな~と思いました。

 

小学生の作文みたいな感じですが、今日はこれで終わりです。