しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

運はよかったが身分不相応とまでは言えない

人生で2回就活期間を経験している。

いや、正確に言えば1回もしくは0回かもしれない。「真剣に」就活に取り組んだ期間は0回だから。と言うか、私は就活に限らず物事に真剣に取り組んだなと思えることが人生で1回も無い。それでもまぁ、1回目の就活期よりは2回目の時期の方が少しは「就活してました」と言える気がする。

 

1回目は大学を卒業する前の皆と同じような時期に「就活らしきこと」をした。いや、今思えばあれは「就活ごっこ」だった。なんとな~くテレビや情報で得ていた就活というイベントに参加して「楽しかった~」と言っている、完全にお客様気分の子どもだった。

忙しい社員の方々の貴重な労働時間をお遊び気分の学生のために割いていただいたことを思うと本当に申し訳ないとしか言いようがない。そういう学生の相手をするのも仕事のうちなのかもしれないが、それにしても本当に申し訳ない。

エントリーシートも、「本気」の方々の物を読むならいざしらず、私が提出したようななめくさった手を抜いたエントリーシートも読まなければいけなかった社員の方には本当に無駄な時間を使わせてしまったなぁと申し訳なく思う(読んですぐにはじかれていた可能性が大だけれども)。

 

いくつか受けた会社の中には最終選考まで行ったものもあった。その中の一つには正直「ここなら受かるだろう」と舐めていた会社もあった。しかし結局落ちた。考えてみれば面接の時の自分の受け答えに、そのような驕った部分がにじみ出ていたと思う。あの時私を落として下さった方は見る目があるなと思ったし、私は今でもその会社には敬意を表している。

 

結局その時はどこの会社にも受かる事が出来ず、かと言ってどこにも所属する勇気もない私は、大学とは別の組織に属して勉強をすることにした。そこで今の仕事の業界の事を知り、「そこで働きたい」と思うようになり、現在に至っている。

 

2回目の就職活動の時は少なくともその業界で働くのに持っていた方が良いとされる資格は取っていたので、1回目の時よりは会社の人に「就活に真剣」な印象は与えられたのかもしれない。ただ、その資格も私にしてみれば一定の期間学校等に通えば取得できるタイプの資格だったので、「頑張って取った」気はしていない。

 

どうして就職できたのか、と言われれば「ある程度の数を受けたこと」「運のめぐりあわせがあったこと」が非常に大きいと思う。ただ、それだけでは受からないということは自分でもわかっているので、それに+α何があったのかと考えてみると

「その仕事をするために私なりにこんな頑張りをしてきました」「私がしてきたこういう経験が、今後この仕事に生きると思います」と言えるような何か(しかも客観的に聞いてそれが納得できるようなもの)があったかどうか、なのかなぁ、と思う。すごい、漠然と、しているのだけれども。

 

就職できたのは運が良かったなぁとは思う。

ただ、「就けるはずのない仕事に運だけで就けたなぁ」とは思わない。

「一応その仕事に就けるぐらいの能力は持っていたものの、能力のある人全てがその仕事に就ける訳ではない中で、その仕事に就けたのは運が良かったなぁ、と思う」、というのが正確なところか。

 

 

自分が就活が決まらない時に周りがどんどん決まっていくのって、自分(結婚・出産願望あり)が独身の時に周りがどんどん結婚して子どもを産んでいくのに何となく似ている気がする。