しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

流す必要のない涙を流さないでいい未来になってほしい

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今日、「同性同士の結婚が認められないのは憲法に違反する」ことを訴えた裁判で、札幌地裁が「法の下の平等を定めた憲法に違反する」という判断を日本で初めて下しました。

どうなるかな、どうなるかなぁ…まだ今の日本だと難しいのかなぁ。でも…
どういう結果になるか、すごくドキドキしていました。
だから、お昼休みに一番にネットを開いて、速報を見て、「やった!!!」と飛び上がりたい気持ちでした。思わず会社の周りの人達に「やった!!!新しい時代の第一歩だよ!!!!」と共有してしまうぐらい、嬉しいことでした。


私は可愛い女の子が次元を問わず大好きですが、恋愛対象は今の所男性に限られている、いわゆるヘテロの人間です。
同人誌を昔から嗜んでおりましたが女の子が大好きすぎるからか、多くの同人女子が通ると言われる?思われている?「やおい文化」、いわゆる男性同士の恋愛物にはここ数年前までほとんど触れてきませんでした。
なのですがいわゆるジェンダーと呼ばれるようなものについては昔から興味があり、少なくとも高校生の頃には図書館でその手の本を借りてきて読んでいました。

今でも覚えているのが、「ゲイ・スタディーズ」という本を読んでいた時のことです。
母が、「なんでそんな本を熱心に読んでいるのかわからない、気持ち悪い」というようなことを私に言いました。
私と母は普段口論をすることはほぼないのですが、その時は私が「そもそも同性愛は気持ち悪いものでも何でもないし、母親から自分の興味のあることに対して気持ちが悪いと言われたこともショックだ」と憤慨して珍しく大きな声を出し、それに対して次の日母が「申し訳なかった」と手紙を書いてきた、ということがありました。母に大きな声を出したのはあの時ぐらいだったんじゃないかなぁ。

羅川真里茂さんの「ニューヨーク・ニューヨーク」を読んだのも同じぐらいの時期だったんじゃないかと思います。今でもこれは大切な本ですし、友人に読んでみて、と勧めることも多い本です。

同性愛に限らないんですけど、昔から「本人のせいでないことでその人が不利益を被るのはおかしいんじゃないか」という気持ちが私の心の「大事なことゾーン」の中心に近いところにあって、特に「好きだと思い合っている二人が伸び伸びと好きと言い合えないってそんなことおかしくない???」という気持ちが私にはすごくあります。
私はたまたまヘテロだったから外で好きな人と手を繋いだり楽し気に歩いていても何とも言われないし結婚も出来て「世の中に認められている」けど、それはたまたま私のしたいことと現代日本の「認めている」ことが一致しているだけのことです。
そういうことが、性別のせいだけで「認められない」としたら、それって一体どういうことなんだ?と。誰かと誰かが好き合って互いを想い合いながら生きるって、この世の中にある最も素敵な物の一つだと私は思います。それを敢えて「認めない」仕組みを作るって、誰に何の利益があるんだろう???と思わずにはいられません。

なので、今日のニュースはすごく嬉しかった。すごく嬉しかったです。思わず好きなお酒を買って帰って一人で乾杯してしまった。


そしてこれまでに出会ってきた「ヘテロでない」友人、知人達のことを思い出しました。この世界のどこかでこのニュースを聞いてくれているといいなと思いました。一緒に聞きたかった友人のことを思い出しました。
セクシュアルマイノリティーである彼らは、「セクマイであること」そのものと言うよりも「セクマイであることで社会から受ける扱い」について苦しんでいるように感じていたので、そういう「流す必要のない涙」が減っていく世の中になっていったらいいなと思いました。そして、私自身もそういう世の中にしていくための波紋や流れを作る人間になりたいなぁと思ったのでした。

とりあえず、まだ小さな一歩かもしれないけれど、でもやっぱり大きな一歩だ。本当に良かった。嬉しい。
現代日本では「女性も含めた全ての満18歳以上の人に選挙権があること」が当たり前であるのと同じように、将来誰もが自由に好きな人と結婚、を含めた「その人達の形」を築いていけるようになったらいいのにな。社会の時間に子ども達が「え?異性としか結婚できない時代とかほんとにあったの?この時代の大人達、何してたんだ???」ってびっくりしちゃう未来が来たらいいのにな。
いや、多分来るよね。私はそれを信じています。