映画「カランコエの花」を観てきました(途中からネタバレ有り)
「うちのクラスにもいるんじゃないか?」 とある高校2年生のクラス。ある日唐突に『LGBTについて』の授業が行われた 。 しかし他のクラスではその授業は行われておらず、 生徒たちに疑念が生じる。 「うちのクラスにLGBTの人がいるんじゃないか?」生徒らの日常に波紋が広がっていき… 思春期ならではの心の葛藤が 起こした行動とは…?
(公式サイトからの引用)
「カランコエの花」という映画を見てきました。
①「見て感じたこと」を書きたくなる映画だったのと、②出演者のイワゴウサトシさんが「ぜひ感想を。良かったというのも、そうじゃないのも含めて」と言って下さったのに背中を押されたので、今の気持ちを文章に残しておこうと思います。
会場に着いて一番に思ったのは「自分より年上の人がたくさんいるなぁ」ということ。
普段は自分の身近に「こういうテーマに関心のありそうな年上の人」がいない。と言うか、むしろ全然興味や理解がなさそうな年上の人が多いなと感じている。
なので今日の客席を見て「嬉しいな」「その年代だってこの映画を見ようって思う人もいれば、若くても全然『保守的』な人っているもんな」と改めて思った。
↓ 以下ネタバレ含みます
映画ってはじめの3分ぐらいで(下手すると30秒ぐらいで)「あ、これ好き・平気なやつだ」と「私にはダメなやつだ」ってわかる。小説や漫画にもそういう事を感じない訳じゃないけど、なぜか映画とかドラマの方がこの「平気」と「ダメ」の好みがはっきりしてる。
この映画は私にとっては「すっと映画の中に入って行ける」映画だった。主人公達含む学生さんの演技が「演技っぽくない」自然な感じなのが良かったんだと思う。見ていてすごく「いるいる~」「あるある~」と思えた。
特に手島実優さん演じる矢嶋みどりちゃんがすごく良かった。中・高時代にみどりちゃんみたいな雰囲気が同級生がいたなぁって、観ながら思い出してた。元気かなぁ。
公式サイトを見ながら描いたみどりちゃん。
「手島さんが」自然に出してしまっていたある部分も意識して描きました…!!!
女の子達が、クラスに「いるのかも」と思ったらコソコソ着替えるとことかも、良かった。でも実際女の人ってどうだろう。「この更衣室の中にレズビアンの人がいます」って言われたところで、隠すかな? なんとなく、男の人は「ゲイの人がいます」って言ったら隠しそうなイメージがあるけど、女の人ってそんな隠さない気もする??
新木・佐伯の男子二人もすごく良かった。
そして単純に新木君役の笠松将さんが好みだった(…)。なんか、見ていたらgleeのフィンを思い出したな。
二人であれだけやいやい言ってたのに、いざ桜ちゃんが…って事になると新木君の態度が変わるの、「は?こいつ調子良くね?」と怒りに感じる事もありそうなもんだけど、なんか私的には「リアルだな」って感じたし、良かった。もしかしたら新木君の中で色々思っていることがあって、でもそれをああいう「やいやい言う」という形でしか表せていなかったのかもなぁ、とも思った。
もっとこうだったらさらに私の好みだったなポイント:学生さん達がすごく自然だった分、「カランコエ」の入れ方がもっとさらに自然だったら…母子の会話のところの台詞が「説明」っぽくなかったらさらにもっと好きだったと思う…!!!
この映画で一番不思議と言うか、「ん」と思う事が多かったのが養護教諭の先生。監督さんはどういう意図であの養護教諭の先生を映画の中に存在させたんだろうなぁ、と思いながら観た。
生徒達やお母さんがあれだけ自然な中に、あんな「ステレオタイプな養護教諭(男の子から人気がある、下の名前で呼ばれちゃう若くて綺麗な女性)」を存在させたのは、やっぱり敢えてで何か意図があったんだろうか。
映画予告にある「ある日唐突に『LGBTについて』の授業が行われた 。 しかし他のクラスではその授業は行われておらず 」って文章、私は勝手に「学校として検討した結果、意図的にそういう場を設けた、って話なんだろうなぁ」と思っていた。
だけど、映画を見た印象では私が思ってたような感じじゃなくて、一人の養護教諭が割と独断で突発的にとった行動だったのかな?みたいな感じだったけど…実際どういう設定だったんだろうなぁ。多分現実の学校であれば、ああいう事をするなら教頭、少なくとも学年主任には話を通して学校として検討した上で実行する、みたいな形になりそうな気もするけれど…
そして養護教諭の話した授業っていうのが何と言うか…
「いくつもの思いやりが、ひとりの心に傷をつけた」というコピーのついている映画なので「敢えて」そういう授業として描いたんだろうなと思うんですが、見てて(びぇぇぇぇぇーーーー!!!!!)と悲鳴を上げそうになった。雑、雑過ぎるよ先生…なんで丁寧に扱うべき話を、あんまり準備もしてない感じで雑に、そして上から教えたる的な感じで、話し始めちゃったの~~~~~~~~
しかもしかも、何て言うか、「LGBT含めてすべての人が、その人としてこの世に在ることを肯定されること・否定されないこと」、と「誰かを好きになること」って、似てるようで別の話じゃない??なんでいきなりただの恋バナみたいな話になっちゃってるの??
確かに恋バナ的な一面もその中にはあるけど、LGBTについての入門編みたいな話をする時にそこを前面に押し出しすぎちゃうってどうなの???「自分で咀嚼できてる範囲の話」に持ってっちゃうのってどうなの????「理解ある養護教諭」な自分に完全に酔っちゃってる自己満足なやつじゃん~~~~~~!!!!!???
そういう「ざらっとした違和感」を監督さんは描きたかったんだろうか。だとしたら、本当にすごいと思う。本当に気持ち悪くて、胸がムカっとして「ちょ、おま、黙ろうか」と教諭の口を押さえに行きたくなった。
桜ちゃんはなんで養護教諭にカミングアウトをしたんだろうなぁ、というのも不思議だった。
多分桜ちゃんは、ほとんど誰にもカミングアウトをしていない子なんじゃないかと思う。少なくともリアルの生活では、親御さんにさえ話していないのかもしれない。
そういう場合、よほど「この人なら大丈夫だ」「この人には聞いてほしい」と思う相手にしか自分のこと、話さないんじゃないのかなと思う。別にそういう話題じゃなくたって、自分の中の大切なことを話す時は、誰だって相手を選んで話すし。
…という中で、どうして桜ちゃんがあの先生を、カミングアウトの相手に選んだのかなーって言うのが不思議。もしかしたら保健室の机にそういう本でも並んでたのかなぁ。それで「養護の先生だし、話しても大丈夫な人かな」って思って、他にそういう話ができる人もいないし、誰かに今のこの気持ちを話したくてしょうがなくなっちゃって、先生を選んだのかなぁ…
だとしたらますます、彼女の了解無しに(少なくとも映画の中には彼女が「そういう授業をうちのクラスでしてほしい」と言っている描写は無かった)養護教諭のとった安易で、「いい事をした」って気になってる行動に、怒りが湧いてくる。あの授業の時、桜ちゃんはどんな気持ちだったんだろう。どんな気持ちだったんだろう。自分が桜ちゃんだったら、って思うだけでうわぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!と叫び出したくなる。
でも、(少なくとも映画の中では)桜ちゃんが養護教諭に怒りを向けるシーンは無い。だからこそ余計に、彼女がどんな気持ちだったのかを、今でも考えてしまう。
休んでいる桜ちゃんの机を見つめる月乃ちゃんのシーン…すごく良い演出だった…すごく良かった…でも号泣してたから音を立てないようにするのほんと大変だった…でも号泣した…
私が見た回は舞台挨拶がありました。
中川監督:自分より年若い方がこんな素晴らしい映画を撮っているという事実…私もちゃんと生きなきゃなという気持ちにさせてくれます…
手島実優さん:えっ…ご本人はなんか癒し系の可愛さがすごい…りなぷーに感じる可愛いと同じ系統の可愛いを感じました…
短い前髪といたずらっぽい口元が可愛い手島さん
石本径代さん:手島さんが「絶妙な物真似」を披露してくれた後に「あちゃぁ~(;´O`)ゞ」って顔と手をしてらっしゃったのがすっごくチャーミングだった…
イワゴウサトシさん:作中ではよくいるちょっとヘッポコ?教諭だったわけですが、挨拶ではすごいしっかりとした熱のこもったお話をして下さり素直に「かっけーな…!」と思いました。
皆さんが感想をめちゃくちゃエゴサしてるという話を聞いて「ひえ~!!!(^▽^;;;)」とも正直思ったんですが笑
アマチュアとは言え舞台に立ったり本を出した事のある身としては「わかる~~~!!!!」とも思いましたし、すごくいろいろ思わせてくれる・そしてそれについて何か書きたくなる作品でしたし、せっかくなら作り手さんにもそれが届いたらいいな~と思ったので。何より、一人でも多くの人にこの作品を観てほしいな~と思ったので、こうしてブログやら、Twitterやらに色々と書いております!ドキドキしながら!
よく、「社会人になってからの方が大変」学校って生きにくいって言うし、実際「社会人の大変さ」ってものはあると思うんですが。
でも、社会人の「方が」大変か、って言われるとそこは微妙だなと個人的には思う。学生、特に高校生までの大変さって、ある意味社会人より大変だな、とすら思う。だって会社はたくさんの中から選べるし、途中で変えられる自由もある。でも、高校までの学校って選択肢がとても少ない事が多いし、途中で変えるってすごく難しい。一度「アイツは」って目で見られたら、それを引きずりやすい。そんな中で、6年間だったり3年間をほぼ同じメンバーで過ごすって今思えばすごく大変なことだ…
しかも色んな場面で「メジャーな分類しか用意されていない」事が多いし、性に関して言えば基本的にヘテロ用の仕組みしか用意されていない。「先生」達だって、ヘテロ以外の存在にどのぐらい心を配ってくれているか、わからない…
そういう中で、性的マイノリティーの子が生活していくって、まだまだすごく大変なことだよなぁと思う。「だからどうすればいいのか」は手探りなのだけど、学生だったことのある身として、何かできたらいいのになぁとは思う。
「ただ、あなたを守りたかった。」
「いくつもの思いやりが、ひとりの心に傷をつけた」
この映画の、コピー。
「守る」ってなんだろう、って私はよく思う。歌でも「君を守るよ~」みたいな歌詞ってよくあるけど、戦をしている訳でも無いこの現代日本において「守る」の定義って何なんだ??とよく思う。冗談みたいに、「君のために毎年1億円稼ぐよ~、って言われたら守られてる感あるよね」なんて言ったりするけれども。みんなに、あなたにとって「守る」って何ですか?って聞いてみたい。
この映画の場合、「バレないように、隠してあげる」とか「周りの偏見を無くすようにしてあげる」っていうのが、周りが思った「守る」ってことなのかな。
でもそもそも、桜ちゃんは「守られたかった」んだろうか。私は人生の中で「守られたい」と思った事はあるだろうか。
私は、無いかもしれない。「必要があればサポートしてほしい」と思ってはいるけど。「守ってほしい」って、サポートとはニュアンスが違うもんな。桜ちゃんはどうだったんだろうか。どうして、マイノリティーに対して「守ってあげよう」という気持ちが浮かびやすいんだろう。
「思いやり」もなぁ。コピーの文は、『思いやり』っていう括弧の付く思いやり、なのかなと思った。
日常の中では、「何が思いやりか」って考えすぎたら何もできないかもしれないけど、それでも「思いやりになってるかどうか」は相手の様子や反応を見て、確認し続けていかないといけないよなぁ。
ちなみに、私はてっきり月乃ちゃんが桜ちゃんにシュシュを渡したりするのかな、とか思ってたんですが全然そんな場面は来なかったですね…
色々と、伏線の回収が綺麗な映画だった。
エンドロールのあの演出、ずるいでしょ。絶対泣くよ。
「音声」って、すごいよなぁ。絵が無い方が伝わるのって、なんでなんだろ?
桜ちゃんはどうして「好きだって、伝えなきゃ」って思ったのかな。伝えたい、ってことだったのかな。
きれい事だって言われそうだけど、私は誰かが幸せそうにしてるのとか、誰かが誰かを大好きなんだっていうのが伝わってくる姿を見るのが普段からすごく好きだ。そう言う時の表情ってこっちまで本当に幸せになるし、もっとたくさん見たい、世の中みんながこんな風に笑えればいいのになって心から思う。
この前「性別が、ない!」を観た時もそう思ったんだけど、この映画を見ても、改めてそう思った。だって、あの桜ちゃんの顔を見て、幸せになってねって思わない人、いる…???
「その場面」ではありませんが。公式サイトを見ながら描いた桜ちゃん。幸せになってほしい。
前に、ゲイの友人と話している時に「学生時代、ノンケが普通にするような、恋とか恋バナってものを、してみたかった」って言ってたのが今も印象に残ってて。
タチかリバかを表明した上での出会いじゃなくて、体から入る関係じゃなくて。「相手にとって自分が恋愛対象に入る事は無いんだな」っていう諦めた気持ちから入るんじゃなくて。
好きになった人から好いてもらえるかもって少しだけでも期待する事ができて、友達に「好きな人ができたんだ」って相談できて。「相手のここが好きなんだぁ」って話を聞いてもらえるっていう、そういう「普通」のやつに憧れてたなぁって言ってたのを、今でもふとした時に思い出す。
みんな、みんな、しあわせになってほしい。みんなで、なりたいなぁ。