しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

今ならもう少しましなJ-POPを書ける かもしれない

私は人生の中で音楽に触れていた時間が長い。

習ったり、サークル活動をしたり、音楽を使って何かしていた時間が、比較的長い。

 

その中で、たまに作曲をする必要があることがあった。

私は自分から作曲するタイプの人間ではないので、「必要に迫られて」作るのである。

 

ただ、私には致命的にJ-POP…いわゆる「イマドキ」っぽ曲を作る能力が欠けていた。J-POPの授業の課題で作った曲についての先生からのコメントは「昭和の歌謡曲のようだ」であった。自分でも実にそう思った。

逆に、昭和の歌謡曲的な物なら一応作れる、とも言える。童謡・唱歌のような曲も苦手ではない。でも、私はJ-POPの作曲に憧れた。オシャレな感じの曲を作ってみたいなぁ~とよく思っていた。

 

最近ふと、「なぜ私がJ-POPが作れなかったのか」について、自分なりに答えを得たような気がした。

私はこの記事にも書いたように、体内にビートが無いタイプの人間なのだ。

特に訓練を積まなくても元々リズムが備わっているタイプの人も世の中にはいるが、私は生まれ持っての数値がかなり低く、上達には修練が必要なタイプの人間なのだ。

私は16ビート命のハロプロのファンになったことによって、歌にとっていかにリズムが大事かという事、そしていかにそれが自分の体に落とし込めていなかったのかということを知った。むしろなんで今までの音楽の先生達は私にそれを教えてくれなかったんだよ(笑)、とすら思った。

今思えば、当時の先生達は一生懸命私にそれを伝えようとしてくれていたのかもしれないけれど。当時の私には実感ができなかったんだろう。

そして、つんく♂さんからは直接レッスンを受けた事が無いのに、つんく♂さんの曲は私にそれを教えてくれた。つんく♂さんは改めて偉大である。

 

私が思うに、私の作る曲は一本調子だったのである。

別に歌謡曲や童謡が一本調子という訳では無いのだが、いわゆる最近のJ-POP感を出すには、より「ビート感」というのが大切になってくると思われ、それが無かった私にはJ-POPが書けないのも当たり前だったのだ、という結論に達した。

 

私は今でも歌が上手くないし、決して体内ビートも十分とは言えない。

しかし「そういうものがあるんだ」という事は知ったし、以前よりは多少なりとも体内にリズム感が生じるようになってきた。なってきた、と信じたい。

 

ので、もしかしたら今ならもう少しましなJ-POPを書けるかもしれないなぁ、と思った、のでした。

 

まぁ、でも、詞が全く書けないのは、変わっていないのですが。。。