しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

ダンスと同じで「考え方」もアイソレーションできた方がいい事が多い気がする

新しい考え方でもなんでもないんですが、最近「ダンスと同じで『考え方』もアイソレーションできた方がいい事が多い気がする」と実感したことが多かったので、そのことを書きます。

 

アイソレーションとはなんぞや?と言いますと、

アイソレーション (Isolation) とは、分離、独立、絶縁などの意味。以下の用法がある。

  • パントマイムストリートダンスにおいては、体の各部分を単独で動かすトレーニング。人間離れして見える動きの基礎となるトレーニングである。人間の通常の動作では、身体のひとつの部分だけを動かしているつもりでも身体のほかの部分がつられて動いてしまう。それを意識して分離してゆく。顔、首、肩、腕、手、指、胸、腰、足、さまざまな部分の切り離しが可能である。アイソレーションを訓練すると空間上の固定された部分、空間固定点 (fixed point) を作り出すことができる。そしてこの応用によって、実際には存在しない壁、階段、ドアなどを、存在感をもって現出させる動きが可能になる。

                    アイソレーション - Wikipedia

 と言うことなんですが、今回の記事ではもっとざっくり「細かい部分に分けることができること」という意味で理解してもらえればと思います。

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 例えば、ダンスの経験が無い人間は体を6分割ぐらいしかできません。それに比べて、少し慣れてくると体のパーツをもっと細かく分割して動かせるようになってくるので最初に比べると複雑な表現ができるようになってきます。


ケント・モリさんのダンス。すごく滑らかで複雑で、「自分と同じ『人間』なのかな?」なんて思ってしまいますよね。でももちろんケントさんと私達は同じ組織でできている人間な訳で、「どれだけ体を細かく分割して動かせるか」というのを極めていくと(もちろんそれ以外の要素もありますが)、基本は同じでもここまで差が出るのか、というのがすごくわかるなと思います。

 

体のアイソレーションで同じ人間でもこれだけ差が出るように、「考え方」のアイソレーションができるかできないかによっても、同じ人間でも大きく差が出てくるのではないかな。

そしてそれができるようになるには、体と同じく「頭」も鍛え続けないといけないのではないかな。

と最近思っています。

 

例えば、「物事白黒はっきりしていないと嫌!」というのは割とよく聞く言葉ですが、世の中白黒はっきりできない物の方が圧倒的に多いと思います。

そんな中、「白・黒」の2つしか選択肢がないと、「どっちでもない現実」に対応しきれない

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でも、「白・黒」の間にいくつも目盛りがあれば、「う~ん、10段階で言うとグレーの6ぐらいかな」と、「白・黒」に比べて選択肢が広がって、現実に対応しやすくなるし、自分の気持ちを細かく分析できる。

 

「白・黒」問題と同じぐらいよく話に出るのが、「好き・嫌い」問題。

私の実感で言うと、「好き・嫌いがはっきりしていないと嫌」と言う人は、その人が認知している全ての物事・人を「好き・嫌い」で分類したとするとそれが決して1:1ではない場合がほとんど。

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そして、左側のように「好き」の許容範囲が広い場合よりも、右側のように「嫌い」の範囲の方が広い場合の方が多い印象があります。

そして、それは個々の事象の好き嫌いを判断する時にも比例しているように思えるのです。例えばAさんという人を「好き・嫌い」で判断する場合、例えAさんの中に「好き」の要素があっても「嫌い」な要素が1ミリでもあれば「嫌い」グループに分類してしまう。これでは「嫌い」が増えていくにきまっているし、世の中が「嫌い」で増えていくのはどう考えても楽しくないんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

例えば、自分がAさんのことをこんな風に思っていたとします

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アイソレーション的考えができる人は、「Aさんのことは好きな要素の方が多い。ちょっと嫌だなぁと思うところもあるけれど、まぁでも一緒にいて楽しい部分の方が圧倒的に多いし、これからも仲良くしていきたいな」と思えたりするでしょう。

「白か黒か」派の人は、「嫌いな部分もあるけど、好きな部分の方が多いからAさん大好き!!」となってくれればいいのですが、今まで見てきた白黒派の人は「嫌いな部分が1つでもあるから嫌い!!」と言っていた人ばかりでした。「でもその分類法で行くと世の中に好きな人なんて一人もできなくない?あなたも周りも生き辛くない??」と思ってしまうんですよねぇ。

 

ちなみに私は誰かに対して「嫌い!!」と思ったりすることはもちろんありますが、少し落ち着いたら

  • その人のどういう部分を自分は嫌だと思うのか
  • それを嫌だと思うのは、自分の中にどういう価値観があるからなのか
  • その人を「好き」と判断している人達は、その人のどういうところに魅力を感じているのか
  • 「嫌だ」と思う要素を自分の好きな人も持っていたとしたら、その人の事も嫌いになってしまうのか

を考えて言語化してみるのが好きです。そういう作業をすることでただ「嫌い!!」と思っていた時とは少しだけ違う気持ちでその人の事を見る事が出来るようになる、優しく接することができるようになる気がしています。

自分の気持ちを「嫌い」という一語で「塊」として処理してしまうより、丁寧にほぐして理解した方が

  • 自分でも気づいていなかった自分の気持ちに気付くことができる
  • 「なんか嫌」で済ませていた時には相手の実態を事実に基づいて判断しようとせず勝手なイメージで判断していたことも多かった。しかし丁寧に分析をすることで相手を勝手に決めつけることが以前よりは減ったし、嫌いと思う原因が自分側にある事も多いことに気が付ける
  • 「100%嫌いな物事・人」が減って自分が楽になった。多分そういう私と接する方が、周りも楽だと思う

など、いいことが多いなと感じています。

 

自分の気持ちを細かく考えていくのも好きですが、(その人が本当は表現したいと思っているけれど上手く引き出されていない)人の気持ちを聞いていくのも好きです。

人の気持ちがだんだんと見えてくる喜びというのは、土に埋もれていた遺跡を丁寧に発掘していったら全貌が見えてきた時の喜びや、美術品を丹念に修復した時の喜びに似ているのかな、なんて思っています。

会話をしていく中で、その気持ちが見えてきて、相手が「ああ、私って、こういうことを考えていたんだ」とすっきりとした顔になることがごくまれにありますが、そういう時はこっちも嬉しい気持ちになります。

 

今後も、自分の心が「何か」を感じた時は「自分の頭で考える」という頭の運動を続けていきたいなぁと思っています。

最近、昔より色々なことを考えられるようになってきた気がして、すごく楽しいです。

読書感想文が苦手なあなたに いつかあなたのブログを読みたい私から

夏ですね。夏休みですね。

夏休みの宿題の定番「読書感想文」に悩んでいる人もたくさんいたりするのかなぁと思ったので、読書感想文を書くのに苦を感じた事の無い私なりに考えてみた、「こうすれば読書感想文って書きやすいんじゃない?」という方法を書いてみようかと思います。

 

先に断っておきますと、

  1. 目新しい話は何一つ無いです
  2. 素晴らしい内容の感想文が書けるか否かはとりあえず置いておいて、「特定の分量を書き上げ、とりあえず『書いて提出する』という目標を達成する」人向けの内容です

 

では本文。

 

感想文を書く場合、「本を一通り読み終えてから書く」方も多いのではないでしょうか。

私は学生時代はずっとこのスタイルで書いていたのですが、今思えばこの方法は効率が悪い&文章を書くのに抵抗のある人は「いきなり原稿用紙3枚を埋めなければいけない」という事実に筆が進まなくなってしまうのではないかと思います。

なので、おススメなのは「読みながら感じたことをどんどん、本自体や白紙に書きなぐってしまうスタイル」です。

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

 

 私は何かを読む時に齋藤 孝さんの三色ボールペン方式(ざっくり言うと、客観的に見てまあまあ大事なところに青の線、すごく大事なところに赤の線。主観的におもしろいと感じたところに緑の線を引くやり方)を使っており、思ったことも欄外にガンガン書いています。

「思ったこと」と言うと何かしっかり考えたことを書くのかな?と思うかもしれませんが、全然そんなことはなく

f:id:shino-eco:20160802231737j:plain 受験のキモは3日で身につく (角川文庫)より

 

この程度です。「ツッコミを入れる」程度の気持ちでいいと思います。

このやり方をしながら読むと便利なのは、後から読んだ時に「自分がどの部分で心が動いたのか(どの部分を大事だと思ったのか・面白いと思ったのか)」がすぐにわかるところです。感想文を書くときに改めて「えーっと、どこが感動したんだっけな」と探しながらもう一度読み直す手間が省けるところもいい。

 

余白だけだとおさまらなそうな時や、書いていたらどんどん考えが膨らんでいった事に関しては思いついた時に思いつたままにとりあえず白紙に書きなぐってしまうことをおススメします。アイディアは思いついた瞬間から忘れていくので、覚えているうちに書いておくことが非常に大切です。整理するのはあとからいくらでもできる。この白紙はA4ぐらいがいいかも?

 

で、そんな事をやりながら一通り読んでみたら「あ~、ここに線を引いたな~」「ここにこんなツッコミを入れたな~」と思いながら本をもう一度めくっていき、特に心に強く印象に残った言葉に関しては

「その言葉を白紙に書き写す」→どうしてその言葉が印象に残ったのか、その言葉に心を動かされたのかを思いつくままに考えて書いてみる

という作業をしてみるといいかと思います。これも、整理するのはあとからどうにでもなるので言葉が思いついた瞬間にとりあえずどんどん書きましょう。この白紙は印象に残った言葉ごとに紙を分けて書いて、一枚はA5ぐらいがいいかも?

 

ここで陥りそうなのが

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」(書き写した言葉)→かっこいいと思ったから

みたいに書いてしまうパターン。そうではなく、「どこの、どんな部分があるから、どうしてかっこいいと思ったのか」まで考える必要があると思います

 

そんなことを1冊分(そんなに検討するなんてめんどくさいよ!!という方は読んでいる途中に「ちょ!これ超すごいんですけど!!!」みたいな部分が来たら線を引くだけでなく付箋も貼っておいて、後からそこだけに注目して)やってみると、あ~ら不思議、すでに原稿用紙3枚分以上の言葉がそこに!!

あとはその紙を印象に残った順に並び替えてみたり、似た感想でグループにしてみたりしながら、印象トップ3を述べたり(書くのが苦手な人にはこれが手軽でいいかも)、自分の感想の傾向を探ってみたり、読んで自分なりに考えたことをまとめれば感想文のできあがり!!になるかと思います。

 

文章を書くのって楽しいな~と思う人が一人でも増えて興味深い個人ブログを書いてくれる人が一人がでも増えてくれたら嬉しいな~!と常々思っているので、この文章を読んだ人がいつか一人でも個人ブログをはじめてくれたら嬉しいな~!!と思っています!!

自分の行動で自分に自信をつけたい

何かを自主的に丁寧にコツコツ積み上げて達成した、という経験がほぼありません。

 

例えば、夏休みの宿題とか。(最後の日にやっつけのようにやる。むしろもうやらない)

例えば、同人誌の原稿とか(丁寧に仕上げられたと言えるのは人生で初めて出した本ぐらい)

例えば、大学受験とか(一応なんとか受かりはしましたが、受験にかけられた時間を考えると、とても全力で打ち込んだとは言えない結果でした)

 

今はとりあえず社会人をしていて生活できるぐらいのお給料はいただいており、多分このまま生活して行っても誰かから「お前は何かを自主的に丁寧にコツコツ積み上げて達成したことがない奴だな」と咎められることも無いと思います。

 

でも、自分が、嫌なんです。

自分がコツコツ生きてきて来なかった結果、今の自分があるんですけど、このまま「何かを自主的に頑張って取り組んで達成したな」と思えないまま、「私ってそういうのどうせ無理なタイプだから…」と卑屈な気持ちのまま死んでいくのは嫌だな、と思ったんです。

 

だから、というだけが全ての理由ではないんですけれど、今、とある試験に向けて勉強をしています。ある程度の準備をしないと受からないような、試験に向けて。

単純に、その試験に受かりたいという気持ちももちろんあります。でも、それ以上に私は「何かの目標に向かって、自主的に取り組んで目標を達成した」という経験が欲しいんだと思います。

 

今までは、目標を決めても3日坊主のことが多かったのですが、今回は私にしては珍しく継続していて。もうダメかも、と思う場面もあったんですがなんとか乗り越えられたので、なんとなく今、「ここまでこれたから頑張れるかも…!」という気持ちになっていて。

なんとか目標達成まで頑張りたいなぁと思い、文章で今の気持ちを書いておくことが今後のやる気につながるかもしれない、と思ったので書いておくことにしました。

 

小さなうちにコツコツから逃げると、大人になって苦労するね。

でも、いくつからでも、やろうと思ったら「もう遅いし…」なんて思わないでその瞬間からやった方がいいと思っているし、その時から頑張るしかない、とも思っているので。

頑張ってみまーす。

生田衣梨奈さんのブログに対する勝手なる私信

ameblo.jp

昨日はね映画みてたの!!!
そうなんだ。「!」が3つも並んでとっても楽しそうだね(^^)
すごく感動したのかな?
どんな映画を見たのかな?
 
ツレがうつになりまして。」っていう映画なんだけどね、えりは誰にでも優しくいたいって思った。
へー。細川貂々さんの漫画が原作のやつだよね。昔読んだことがある気がするなぁ。そう言えば映画にもなっていたっけ?誰が主演だったかな。
そして急に大きな話になってきた!!優しく「し」たい、じゃなくて、優しく「い」たい、なんだね。どんな話なんだろう?
 
人に優しくするのってすごく難しいことだと思うんだ。
 
だってその人のその日の感情ってあるやん?!
そんなの自分で左右出来ることじゃないし、自分で偽りすぎるのもよくないって思うからね!!
生田さんにとっての「優しさ」の定義ってどんななんだろうなぁ。
生田さんはどんな時に「(自分は)人に優しくしたな」って思って、どんな時に「人に優しくされたな」って感じる感性を持ってるんだろう。
ともあれ、優しくするのって難しいことだね。
「自分の色々な感情があるから常に人に優しくするのは難しい」
「どんな感情があっても優しくするのがいいと思うけど、無理に優しくしようとするのは『偽り』な感じがする」
…ってことかなぁ?
 
たくさんの人にあう事をしてれば、いろんな人にあうんだよ!!
 
それはえりにとってすごくいい事だと思うし、とっても素敵な事( ´ ▽ ` )ノ
 
 
1回の出会いでも、大切にしなきゃだと思う。
 
だからね、誰にでも優しくするんだ!!笑
うん、なかなか難解だ(笑)。でも、勝手に推測したりするのは楽しいからな。
(アイドルとして)たくさんの人に会う(仕)事をしてれば、いろんな人に会うんだよ
ってことかな?
たくさんの人に合う事をしてれば、いろんな人に合うんだよ!!(うつの人も含めてたくさんの人に合いやすい事をしていれば、結果としてそれはうつ以外の人も含めたたくさんの人にフィットするんだよ)
ってことかとも思ったんだけど、次の文が「1回の出会いでも」だから、これはやっぱり「会う」っていうことかな。
生田さんは「たくさんの人、いろんな人」に会うことをどうして「いい」「素敵」だって思うんだろうな。
 
そして「1回の出会いでも大切にしなきゃいけない。『だから』誰にでも優しくする」の「だから」もどういう意味かな…!?生田さんの中で「優しくする」ことが「大切にすること」につながる、ってことかな…。ますます生田さんの「優しさ」の定義を聞いてみたいものだ!
 
えりは映画をみてすごく影響されやすいんだよね!
 
すぐ前髪切ろうとしたり、感情が動かされたりだから映画みるのが好きなんだ!!!
「すぐ前髪を切る」と「感情が動かされたり」が同列で並ぶのってなんかつんく♂さんっぽいなって思った(笑)。
この前読んですごく面白かった藤田和日郎さんの本にも「『人の心が変わるもの』が感動で、それがドラマなんだ」って書いてあったんで、生田さんの言葉があまりにもタイムリーで震えた。
人の感情を動かすのってすごく難しいんだよ!
 
普通に踊ってたってカッコイイなんて思わないし、可愛いなんて思わない!
 
その人の中に何かの魅力が少しでも感じられるから、好きになったりするんだと思う。
 
えりは新垣さんの演技をみて、新垣さんを好きになりました。
 
感情が動かされたから!
「芸能の人である生田さんが考えていること」をこうやって言葉にしてくれるのはすごく嬉しいし、すごく興味深い。わかってたけど、生田さんが色々なことを考えているのがわかりやすい形で実感できてありがたい。
その人の表現のどこかに魅力を感じるから、人はその人のファンになる。その通りだろうね。
踊り自体がかっこいいとか可愛くなくても、「何か」を感じてその人自身を「かっこいい、可愛い」って思ったりするから人間の心って不思議なものだよねぇ。
生田さんは、新垣さんの演技を見てどんな感情をどんな風に動かされたんだろうな。
 
だからね、えりも人に感動を与えられるような人になりたい。
 
存在でもそうだし、パフォーマンスでもね!
 
演技とかはぜんぜんえりはしないけど、おしゃべりしたりダンスだって歌だってするやんか?!
 
だからがんばるね。
自分が誰かに感動させてもらったように、誰かを感動させられる人になりたい、と生田さんは思ったのかな。
「誰かにプラスの気持ちをもらいたい」で留まるタイプの人もいる訳で。そこに留まらず、「誰かにもらったプラスの気持ちを自分も誰かに還元したい」というところまで気持ちが発展するって健全な心だなぁと思う。
「人から感謝されたいって見返りを求めてるんじゃん?」という考え方もあるだろうし、全くその要素が無い訳じゃないと思うけど、純粋に「誰かに良くしてもらったから、今度は私がする番!!」っていう気持ちの方圧倒的に大きいものなんじゃないのかなぁ、と思う。
 
「パフォーマンスでもそうだし、存在でもね!」じゃなく、「存在でもそうだし、パフォーマンスでもね!」なところが興味深い。一般的には前者の語順を選ぶ人の方が多いんじゃないだろうか。でも、パフォーマンス云々以前に生田衣梨奈そのもの」が、感動させられる存在になりたいんだっていう感じがして、生田さんが選んだ語順の方がかっこいいなと思う。ただの偶然かなとも思うけど(笑)。
 
と言うか、演技この前してたじゃないですか。でもきっと生田さん的には「ぜんぜん」の範囲なのかな。私は演技をしている生田さんを見た、と思ったよ。来年の舞台も今から楽しみだよ。
 
人に必要とされる人間になるんだ。
いろんな人に良い意味でも悪い意味でも、言われなくなったら本当にダメだと思うもん!
 
最後まで。
 
えりな

 人って結局何億人に必要とされても「自分って本当に必要な人間なのかな」って思ってしまうものなのかなーって思ったりすることがあります。そもそも「本当に」必要ってなんだろうなって考えちゃったりも。するな。

「言われなくなったら本当にダメ」と言うのは芸能の人にとっては本当にそうなんだろうな。

私のような普通の社会人している人間は、この文を読んで「私も常日頃『注意してもらえなくなったら、率直な感想を言ってもらえなくなったらおしまいだ』と思っているなー。だからこそ、経験年数が増えれば増える程、『声かけてもらいやすさ』を気をつけているけど、なかなか難しいよね~」なんてことを思いました。

 

生田さんの「最後」っていうのは、人生の最期ということだろうか、なんてぼんやり思いました。

生田さんは卒業しても、おばあちゃんになっても高みを目指す人なんじゃないかな、って思っているからです。

生田さんの、生命力にあふれているところが私はきっと好きなんだな。

 

 

気持ち悪い感じの、勝手なる私信でした。

むしろアイドルに興味がない・好きではない人に読んでもらいたい、「私がモーニング娘。'16のファンである理由」

先日、こんな記事を読みました。ameblo.jp

それを元に、Twitterでこんな会話をしました。

① ハロプロの売りとは何か、について - Togetterまとめ

② アイドルに対してそれぞれが求めるものとは何か、について - Togetterまとめ

それを機会に、改めて「私はどうして今のモーニング娘。が好きなんだろう」と考えたので、今日はそのことについて書きたいと思います。

 

【私が娘。を好きな理由】

  • 可愛い

超基本ですけどまずこれかなと。静止画状態の可愛さももちろんあるんですけれど、動画状態の可愛さ(動作、仕草、声、喋り方)がたまらないです。

不思議な事に、好きになってくると可愛いと思う気持ちがおかしな速度で加速する現象が発生しまして、もう生田衣梨奈さんに至っては何しても可愛いのレベルに達しています。

 

  • かっこいい

可愛いと同時にかっこいいんですよねえ。自分より年下の女の子にかっこよさを感じるっていうのも不思議なものなんですが。

かっこよさっていうのは最終的には表情等から感じるのかなぁとは思いますが、そこに到達するまでの内面からにじみ出る心意気みたいなものに人はかっこよさを感じたりするのかなぁ、なんて思ったりします。

 

  • 歴史がある

 1997年から20年近く続いてきた歴史がありドラマがあるところも魅力の一つです。

デビュー当時、私は一般人レベルの興味しかありませんでしたがそんな私が17年後のモーニング娘。'14になってからファンになったのも何かのご縁なんだろうなぁと思います。

 

  • メンバーが多すぎない

5~16人というメンバー構成が私にはメンバー同士の関係を楽しみやすいのかなぁと。

アイマスでも765PRO ALLSTARSの13人ぐらいが私にとって程よく感じるので、そのぐらいのグループが自分は好きなんだと思います。

 

  • 若者の成長物語をリアルタイムで追えるのが楽しい

私自身学生時代、OBOGがなぜそんなに現役に親切にしてくれるのか不思議に思っていたのですが、自分が年を重ねると「若人が一生懸命何かに取り組む姿」というのは見ていて元気をもらうし応援したくなるものだな…と実感するようになりました。

今はブログもあるのでコンサートやテレビ、雑誌だけじゃなく日々本人が発表してくれるツールがあるのも成長ヲタには嬉しいですね。

 

  • 女子アイドル、そして娘。特有の「限りある」ところがいい

娘。には「卒業」というシステムがあり、ある時点でメンバーはグループを卒業していきます。

それが悲しい、でも限りあるからこその素晴らしさがある。

これも自分の経験と重なるのですが、学生時代の部活というのは限りある年数の中での活動になります。大好きな先輩も、そして、自分自身もいつかは必ず卒業して行ってしまう。でも、だからこそ一生懸命になれるし、期限があるからこそ、そこまで思い切りやろうと思えたりすることもある。卒業間際に爆発的な輝きを見せることがある。

私はこの「有限を愛する心理」は「甲子園が好きな人の心理」と似ているのかなぁ、と思っています。つまり、甲子園ヲタは潜在的娘。ファン層だと思っていますよ!!!

 

  •  仕事目的で集まった仲間達だからこそ生まれる魅力がある

彼女達は「仕事」としてのアイドルを選んだ人達です(加入時にその自覚の濃い薄いはあるでしょうけど)。決して、「趣味としてアイドルっぽいことをしていたい」人達では無い訳なのです。

 決して「仲良しグループ」が発展してできたものでは無い。娘。のオーディションを受けた理由も、加入してから目指したいものも様々。

だから当然、入ってすぐに「仲良し」になったり協力関係が築ける訳ではありません。むしろ仲が良いとは言えなかったり、よそよそしかったりすることも多いです。これは会社に入った大人でも同じことで、むしろ彼女達は歳が若い分当たりさわりな~い雰囲気で仕事を一緒にやっていくのは難しいだろうし、多分アイドルって言うのは「グループ内の雰囲気の良さ」を求めるファン層も一定数必ずいるので、大変だろうなと思います。

「仲良しグループ」だったら仲の良くない子は自然と離れていくだろうし、関係を作ろうとしなくてもどうにかなる。

ただ、彼女達は「同僚」なのだ。「モーニング娘。」として、世の中にたくさん知れわたりたい、売れたい、愛されたい!という同じ目標を掲げる仲間なのだ。そして例え嫌でも共同作業に取り組まねばいけないのだ。

そういう強制力のある中でしばらく時を過ごしていくと、気がついたら薄いけど固い壁があったメンバーが仲良くなっていたり、目立ちたがり屋のメンバーが誰よりもグループのために活動するようになったり、という変化がおこることがある。そういうのを、見守らせてもらうのが好きです。

 

これは特に9期に強く思うこと。

モーニング娘。はデビューから数年はまさに飛ぶ鳥落とす勢いで日本中がモーニング娘。一色に染まっていると思えるような時期もあったようなグル―プですけれども、徐々にメディアに映る事が減っていき、私も正直「あー、モー娘。って今も活動してるんだなぁ」ぐらいに思っていた時期がありました。

私が14を好きになるまでに知っていた最新のメンバーは、特別枠の藤本美貴さんと、たまたま知人が好きだった紺野さんを除くと4期の3人でした(石川梨華さんは知らなかった)。高橋愛ちゃんも全く知らなかった。道重さゆみさんに至っては14を知ったばかりの頃、「重」という文字だけで「ん?めちゃイケに出てる子?」と重盛さと美さんと勘違いしたぐらいである。

いわゆるプラチナ期の頃は高いパフォーマンス力を誇っていたにもかかわらずメディアや観客動員数に結びつきにくかったと聞きます。

2005年にAKBがデビューし、初めは中々日の目を見なかったけれども徐々にファンを増やしていき、私の実感としては2010年辺りに爆発的に売れた印象を受けます。

モーニング娘。は多分その逆を辿るような雰囲気だったのではないかと、当時ファンだった人の話やネットの情報を見て推測しています。「もうダメかもしれない」と思った人もいるといいます。

「世間からは」そんな風に見られている当時のモーニング娘。に入ろうと思った12-14歳の女の子。絶対に周りから「え?今時AKBじゃないの?」「って言うかモー娘。ってまだいたんだwww」って言われたり思われていたに違いない中で、「私はモーニング娘。に入るんだ」と夢と希望に燃えてオーディションを受けた彼女達。熱い。熱すぎる。9期が入って来た時、彼女達を「希望だ」と思った人がいると聞きますし、その気持ちは、新参者の私にもなんとなくだがわかる気がします。「今のモーニング娘の魅力が、確かに若い女の子達を熱くさせてるんだな」っていうのが嬉しい、と思った人が当時たくさんいたんじゃないかなぁ、と。

今の時代に、今のモーニング娘。の魅力を気に入って入ろうと決意してくれた女の子達はある意味「私と趣味が合う人達」でもあり、そんな彼女達を私は応援したくなるのです。

 

 シャ乱Qは「無茶苦茶好き!」な訳では無かったですが、普通に「いいなぁ」と思うぐらいには好きでした。

娘。ファンになって改めてつんく♂さんが女の子達のために書いた曲、歌詞を知るようになると、好きだな~、面白いな~、挑戦的だな~、変態だな~・馬鹿じゃないの(褒め言葉)等々と思うことがあります。

私は多分、自分の性格的に「生物学的に女だからと言う理由で不当な扱いを受けることに理不尽を感じる・不愉快に思う・疑問を感じる」傾向が強い人間なので、女子をいわゆるスイーツ(笑)的な括り方をしない傾向の強いつんく♂さんの歌詞が好きなんだろうなと思います。

逆に女子が礼賛されすぎてて「いやいやいや女子ってそんなにすごくないですからwww」って思うことはありますけど(笑)。まぁ、私が女性代表という訳でも無いですからね、スイーツ(笑)女子だって理想の女子だって、女性の中には実在するだろうな、とも思うんですけどね。

曲調は、好きな物を選ぶのは難しいですが、「Memory 青春の光」「Do it! Now」「THE マンパワー!!!」「笑顔の君は太陽さ」「SONGS」「A B C D E-cha E-chaしたい」とかが好きかなぁ…ううっ、全く選べない…

今、改めてつんく♂さん自身が歌うのを聞くと、めちゃくちゃ上手いなと思う。どうして歌っている当時気付かなかったのだろうか。アホである。

 

プロデューサーとしての姿勢が好き、というのが厳密なところかと思います。

メンバーの事をよく見ていて、人生の先輩としてその子の事をよく見て、魅力に気付いて、引き出してあげたいという気持ちが強い方なのかな…というイメージがあって、そういうところが好きです。

 

  • 生歌を楽しませてくれるのがいい

モーニング娘。の歌唱は生歌である(私は14新規なので全ての歴史の中でどうだったかはわからない)。

私はモーニング娘。のファンになる前に色々コンサート・演奏会と呼ばれるものに行ったことがありますが、思い返してみればそれらは全て「生歌かつ生演奏」だったように思います。

ハロヲタはよく、ハローが口パク系の方と共演した際に「うちは生歌だからね!!」ということを声を大きくして言います。ハロヲタはそれを誇りとしている人の割合が高いのかな、と感じるし生歌が好きだからハローが好き、という人もいるのだろうと思います。

先日ふと「そんなに『生』にこだわるのに『生演奏』にはこだわらないのって考えてみたら不思議だな」と思ってしまったんですよね。「ライブは『生』じゃなきゃ魅力が感じられるはずがない!」のであれば、生演奏じゃないのはなんで気にならないのかな?と。ハロヲタで「ハローは生演奏じゃないからダメ!邪道!!」と言っている人は少なくとも私は見た事がないので。

普段自分達はさんざん口パクを批判していますが、もし「生歌・生演奏にこだわるアイドルグループ」に「ハローは生演奏じゃないからな~ww」って言われたらどう思うんだろうか、と思いました。「確かに生演奏じゃないからそっちのグループのがすごいわ…」って思う人より「え?生演奏?そここだわり必要なんだ…? で、でも別にうちはそういうのじゃない魅力があるからね!!」と思う人の方が多いんじゃないかなぁ、と予想しています。口パクを指摘される側のファンの方々も、「別にうちは生歌を最重要視していなくて、他の魅力が好きでファンをやっている」と答えるんじゃないかなぁ、と思ったりしました。

 

話が横にそれましたが、私は今のところライブで「生歌」は聞きたい人なのでハローが、娘。が好きなんだろうと思います。むしろ音楽に関しては割とめんどくさい種類の人間である私が、全く気付かないうちに「生演奏でないコンサートに喜んでお金を払っていたこと」に自分でも驚きました。昔の自分だったら「生演奏じゃない物にお金払うとかちょっとwww」と言っていた気がします。むしろ「生演奏じゃない物からも喜びを得られる人間になった」と今は考えるぐらいです。

私にとってアイドルのライブを見る一番の目的は「アイドル自身が必死で努力した成果を見る」ことなので、「歌以外の演奏=アイドルが直接行っていないこと」は最重要項目では無いんだと思います。逆に生演奏があったらそこのプレイとかクオリティーが気になってアイドルに集中できないこともあると思います…そう思うと、アイドル以外の部分は「常に安定したクオリティーを保ってくれるもの=録音音源」が行ってくれる方が私にとっては有り難いんだな、と思いました。

今の娘。はダンス等も複雑で揃えたりする部分も多いだろうから、練習・本番が常に同じテンポで演奏されるという意味でも録音音源を利用することの利点は多いように思います。モーニング娘。の魅力を最大限に引き出し、味わうための録音音源」だということです。

 

誤解されては困るのが、「女の子が可愛ければいいんだから、曲はテキトーなのでいい」と言っている訳ではない、ということです。

自称音楽好きの中には「生演奏こそ至高で録音音源はクズ」みたいな極端なことを言う方もごく少数いそうですが、そういうものではないだろう、と。それに制作陣は「最高の録音音源」を作ろうとしてくれているのは、ビンビンに伝わってきています。

www.youtube.com

(23:33~ チョット愚直に、猪突猛進(こぶしファクトリー):オルガン収録)

 

www.youtube.com

(34:37~ 泡沫サタデーナイト(モーニング娘。'16):ベース収録)

 

「音楽好き」の人にも満足していただけるであろう素晴らしいミュージシャンの方々が、ハロプロの音楽を支えてくれているのがわかる貴重な映像だと思います。ここだけ繰り返し何度でも見たくなるようなゾクゾク感がある!!

一流ミュージシャンにツアーの全てに同行してもらうことはできなくても、録音に参加してもらうことならできます。基礎工事、屋台骨のしっかりした最強の録音音源があるからこそ、アイドル達が安心して、さらに輝きを増したステージを見せることができるのだ、と私は思っています。

 

それこそ歌の部分は「上手いもの」を聞きたいなら音源の方が安定しているし加工もできるのでいいと思います。

ただ、私は「アイドル達が色々な部分で成長しようと頑張るところ」を感じるのが好きなので、歌に関しても「今までより上手くなろうと頑張っている姿をよりリアルに感じたい」という欲求を満たしてくれる生歌が好きなんだと思います。そこは「その人がライブに何を求めるか」の部分なので人によっては生歌か否かは問題にはならないと思うし、そういうファン層がいるのも特に不思議な事じゃないなと思っています。

 

【昔からアイドルはいたのに、今になってアイドルを好きになった理由】

私は流行ものや、いわゆる女の子らしいものを素直に受け入れられない女子でした。本当は心のどこかで(そういうの、いいな…)と思う気持ちがあっても、素直に「いいね!」と言えない子でした。

「愛想を売るなんて。外見で判断するような人間にはわかってもらえなくていい」と、愛想のいい・可愛い人に対する卑屈な気持ちを「私はそういうんじゃないから!」という無理矢理な理論で隠そうとする、よくいる自意識の高いタイプの中・高生でした。

「アイドルなんて生まれつき可愛い子が笑って歌って踊ってるだけでしょ?」ってステレオタイプな考えでバカにしていました。アイドル達がその可愛さを保つため・歌とダンスを磨くためにどんな努力をしてるかわかってなかった。常に笑顔でいることがどれだけ大変な事かわかってなかった。

彼女達がアイドルをすることで普通の人にはできないたくさんの貴重な体験・見返りもできるとは言え、若い女の子達が学生時代に友達と放課後にマックに寄って帰るような普通の青春を送ったり、見目麗しい時期に好きな人と恋愛をして過ごすという、一生で二度と取り戻せない貴重な時間と引き換えに、(多くの場合)自分より年上の人達の元気の源になってくれているなんて、当時は思いもしなかった。

最近モーニング娘。のファンになったって言うと「え?なんで今?」と言われることがありますが、逆に「今の年齢、社会経験をしている私」×「今のモーニング娘。」が出会ったからこそ私はモーニング娘。のファンになったのだと思います。

 

【最後に】

可愛くて・生歌で・同じくらいの人数構成のアイドルは今の日本にはたくさんいると思います。

でも、今回改めて細かく「どうしてモーニング娘。が好きなのか」を考えてみて、「これと同じ条件を兼ね備えたアイドルグループは他にいないな」ということを実感しました。その条件が揃っていたから好きになった訳ではなく、最初は妙に惹かれだして、結果的に好きになっていったらこんな条件が揃っていた、という事ですけれどね。

振り返る事で、私が「好き」と思う要素がたくさん詰まっているグループなんだなぁということが再認識でき、「そりゃ好きになるわ」ということも再認識できました。

 

以前、別のグループの特定の子を推している、という人にリアルで出会った事があって。私はリアルでアイドルを推している人に会ったのはほぼ初めてだったので、どうしてその子が好きなのか聞いてみたのですが、その人(男性)は完全に「女子として」その子の事が好きで、握手会に行くのは「有名人と直接話せるのが興奮するからだ」と言っていたんです。多分それは一定層いるタイプのアイドルのファン層だと思いましたし、全く否定する気持ちになった訳でも無いんですが、同じ「アイドル好き」と言っても私とは全然タイプが違うし、アイドルファンの数だけ「アイドルを好きな理由」はあるんだなぁと思ったのを、思い出したりもしました。

 

改めて、私がモーニング娘。を好きなのは、こういう理由です。

みなさんの理由も聞いてみたいですし、私の「好きな理由」を聞いてどんな風に感じたかも、是非聞いてみたいです。

(本当は望んでいるにも関わらず)家族・子どもが無い人はどんなことを考えたのだろうか、という話

以前NHKで声帯摘出をしたつんく♂さんのドキュメンタリー番組を見た。

今でもその番組の事を思い出して、考えることがある。

www.nhk.or.jp

番組はつんく♂さんがご家族に支えられながらご自分の人生を生きていく姿を丁寧に描いたもので、困難な中にも暖かい光を感じた。つんく♂さんにご家族がいてくれて本当によかったなと思ったし、つんく♂さんにとってご家族がとても大切な存在であることも伝わってきた。

 

そう思う気持ちとはまた別の視点として、「つんく♂さんのようなご家族はいないけれども困難な状況におかれた人間」は一体どうすればいいのかな、何を支えやエールとしていけばいいのかな、とも思った。

確かに気持ちの安らぐ家族や子どもがいることは素晴らしいことの一つだしそういう存在がいたら嬉しいと感じるけれど、家族や子どもは自分が望めば手に入るというものでは無い。死別していたり、何らかの事情で一緒にいられなかったり、不仲だったり、パートナーとの間には子どもが無い関係だったり、特定のパートナーを持たない等、色々な生き方をする・選ばざるを得ない人がいる中で、困難に向き合う力が家族・子どものいる生活「だけ」からしか得られないんだとしたら、そうでない人はどうしたらいいのかなぁと思った。

 

もちろんドキュメンタリーは「人間は家族・子どもからしか力を得られません!!」なんて事は言っておらず、あくまでつんく♂さんの場合は家族から多くの力をもらっているという話をしただけなのだけど、あの番組を見て、つんく♂さんへの妬みとかそういうことではなくて単純な疑問として、本当は家族・子どもを持ちたいけど持てていない状況の人が「自分には今現在これと言って支えになるような物がないなぁ」と思っていたとしたら、「家族・子どももいない自分はこの先一体何から大きな力を得たらいいんだろう」と考えたりもしたのかなぁ、と思った。

 

逆に、関係性の良い家族や子どもはいるけれど、自分の心の支えの1番を占めるのはそこではない、という人も中にはいたりするのかな。

 

そう思うと、世の中の人はどんなものを心の支えやエールとして生活しているんだろうなぁ。

自分の事を振り返ってみると、家族・親戚はその中に含まれるけどそれだけという訳では無くて、友人や職場の人だったり好きなもの・こと等々、色々な物が総合的に支えてくれている、みたいなイメージだなぁ。まぁ、みんなそうか。

 

あと、私なりに今まで色々な人と会ってきて思うのは、「支えの選択肢が少ない人は大変そうな印象がある」ということ。例えば超単純化して考えるとすると、支えの選択肢が2択しかない人は片方の支えが上手くいかなくなると支え力が50%に半減する。でも、選択肢が10個ある人は1つがダメになっても90%は生きている、みたいな。人によってそれぞれの要素が持つ割合は違うから実際にはそんな単純な訳じゃないけど、色々な物からエネルギーを得る事が出来る人の方が生きやすそうな印象はある、かなぁ。

 

 特に結論は無いんですけど、番組を見てそんなことも考えていました、という話でした。

絵描きさんから学ぶ言語化の重要性について

ここ最近「数年に一度出会えたらラッキーぐらいの面白さを感じる」「人におススメしたくなる」本に遭遇したので、今日はその話を。

広く色々な人に読んでほしいけれど、私は特に「後輩を指導する立場にある」「先輩から指導される立場にある」社会人(つまり全ての社会人)に読んでほしいな、と思った。なんでかと言うと、長い社会人生活の中で、きっとこの本が何かの助けになったりヒントをくれたりするだろうから。

 

中村佑介「みんなのイラスト教室」

中村佑介「みんなのイラスト教室」

 

漫画家の藤田和日郎さん、イラストレーターの中村佑介さん、どちらも「絵を描く人」が書いた(藤田さんの場合は口語をまとめた)本。

絵を描かない、または本当に趣味程度でしか絵を描かない人間は「絵って感性とか感覚とかそういうのを元に描かれてるんじゃないの?要はセンスでしょ?」みたいに思ってしまいがちだ。

けれども、お二人の話を読むと、その絵に行きつくまでの間に色々なことを考えて、そして「なんかいい絵、魅力のある絵」の「なんか」の部分を一生懸命言語化して、そこで手に入れた物を全力で作品に反映してくれるからこそお二人とも素晴らしい作品を生み出し続けてらっしゃるんだ、ということがすごくよくわかる。素晴らしい絵を描くのに言語化が必要って、逆説的なようだけど真理なようで、そこがすごく興味深いなと思った。

 

私は「人間や見た物・風景を言語化する」ことに興味がある。例えば、ある人を見て「なんか感じのいい人だな」と思ったらその「なんか」の部分を何とか言語化しようと自分の頭を頑張って回転させる。どうして私はこの人を「感じがいい」と思ったんだろう。見た目?だとしたらどこ?服装?髪形?体系?表情の作り方? 話?間の取り方?言葉の選び方?こちらとの間合いの取り方? 私の中にそれを「いい」と感じる傾向があるから?好きな知り合いに似てる? 等々…そういう事を考える上でも、この2つの本は非常に参考になった。

 

あと、お二人ともから人間に対する深い愛情を感じた。どうしてそう感じたかというと、「人を育てよう」という気持ちは、他人に対する愛情・興味から来るものだと思うからだ。

人を育てる、という行動は、乱暴に言えば「する必要がない」と考える人もいるだろう。仕事で言えば、即効で自分にとってメリットがある訳でも無いし、非常に手がかかる割に上手くいかない(自分が思ったような結果を得られない)ことも多いからだ。

育てる、しかも「的確に」育てるにはまず相手をよく見る事が必要だ。「育てる=注意する」だと思っている人がいるけど、注意するにしてもその相手にはどういう注意のしかたをするのが的確かを考えないといけないし、とにかくじっくり相手のことを観察して、その人に合った対応法をこちらが考える必要がある。それには時間も手間もかかるので、相手に愛情や興味がないとできないことだ。

 

それに育てる=注意する「だけ」では不十分になってしまう。「育てる=気づくこと、声をかけること、あなたの色々なことを気にかけているよと相手に伝わる形でサインを送ること」であり、「相手が自覚している良い所を、これからも継続した方がいいということを伝える」「相手が気づいていないその人の好い所に気づいて伝えてあげる」ことも同じぐらい重要だと思っている。

相手の欠点というのは人間は見つけやすいものらしいが、できている点や長所はこちらがそういう視点を持っていないと伝える事が出来ないし、最初はそういう部分を「難しい。見つけられない」となってしまいがち。だけど、相手を育てるために自分もそういう努力を積み重ねる必要があるんだろうなぁと思うし、そうすることで相手は「この人、自分のために色々な事を考えてくれてる、自分の事をよく見てくれている、自分のために時間を費やしてくれてるんだなぁ」と感じる部分もあり、より良く育っていくのではないかなぁ、と思った。

 

書いていて気が付いたのだが、他人に興味が薄い人だけでなく、自分の事ばかり考えている人や自分が周りからどう思われるのかを重視している人は人を育てようとする傾向が低いのも当然だなと思った。「相手」より「自分」に興味・愛情が向いていたら、他人を育てるのは難しいよなぁ。「その人が、その人自身の欲求を満たすために自分を怒っているのか、自分を成長させるために声をかけてくれているのか」って、案外敏感に感じ取れるものだから。

 

その点、藤田さん、中村さんのお2人は相手の持っている魅力も言語化して伝えるし、足りない・伸ばすべき部分についてはきちんと根拠を示した上で言葉をかけている。だから相手は受け入れる気持ちにもなるし、納得もできて、伸びる。こんな人が身近にいてくれたら嬉しいなと思う。

 

あと、読んでいて思ったのは教えてもらう側にも素直さが大事だな、ということ。言われた事に対して「まぁそうはいいますけどぉ、自分は●●って思うんですけどぉ~」みたいな下らん御託を並べずに、信じた人の助言は素直に取り入れてそれを活かそうという心が大切だなぁと。頑固は成長を阻むよなぁと。「ちはやふる」に「本当に高いプライドは人を地道にさせる」という私の好きな言葉があるんですけれど、上手くなりたいなら謙虚な心を持つことが大切だなぁ改めて思った。

 

そして「どうして?」「どういうこと?」という「?」の持つ力の威力を改めて感じた。たまたま大学の時にすごいなぁと思っていた先生も「自分の頭で考える」を連呼する先生だったのだけど、「?」はいつでもどこでも誰でも無料で使えて魔法みたいな力があるなぁと思った。

謎な事があった時に「?」を使うというのはもちろん、説明された事を自分で咀嚼して「こういうことで合ってます?か??」と言う時に使う「?」も重要だなぁ。自分が説明した時に、相手に相手の言葉で語ってもらうのも大切だよなぁ。割とわかりあえてないことって、よくあることだもんなぁ。

 

「育ててほしがり屋」はたくさんいるけど「育てたがり屋」は少ないなぁ、と前から、特に仕事をしていて思っていた。「育ててもらわなきゃいけないようじゃ社会人としてどうなの」という意見も、あまりにも受け身な後輩を目の前にしたら言いたくなってくる気持ちもわかる。

だけど、本当は自分が先輩になったら後輩を育てるのも仕事の一つだよな、とも前から思っていた。幸いなことに、私は人を育てるということに関心は強い方だと思うので、この本を参考にしながら、?を片手に頑張っていきたいなぁ。

 

 

本当はこの本についても書こうと思ったのだけど、別の話題として扱った方がよさそうなのでまた別の機会に。