しのざきのおと。

2021年も穏やかに暮らしたい

明日は昨日のことをしているほど暇じゃない

職場の隣の席の人(Aさん・仮称)がすごく仕事が早いです。そして机の上がいつも綺麗。

私は仕事が早いとは言えないし、机回りもいつもごちゃごちゃしています。

この差はなんなんだろうなーと考えてみました。

①物の量が多い

私は仕事をする時にオリジナル資料的なものをよく作ります。そのおかげで上手くいくことも多いのですけど、資料を管理・整理する手間は余計にかかっているなと思いました。

②あとまわしにする量が多い

回覧等も含めて机の上に整理・処理すべき仕事がまわってきた時に「後でやろう」ととりあえずゾーンに書類をまわす事も多いのかと。Aさんはその度にささっと処理してしまうから机の上に物も仕事もたまらない

③付箋を多用する割に使いこなせていない

私は忘れっぽいので思い付いたことはガンガンメモしていくタイプです。仕事の時は付箋をメモとして使うことも多いのですが、上手く使いこなせておらず付箋の無駄遣いになっている時も多い気がする…そしてゴミも増える…

 

そんなことの悪循環で、仕事がたまる一方…

「今度時間ができたらこの仕事やろ~」と思っても、毎日の業務すら終わらないのでその仕事に割ける時間ができたためし無し!!!

 

これじゃあどう考えてもいかんな~と思い、すこーしずつですが、改善を試みています。

 

①自分で管理できない量の資料を作らない(ようになるべく頑張る)

②できる限り簡単な仕事はその場で処理する

③付箋ではなくノートでも対応可能なものについては付箋を増やさない

 

…という初歩的なものですが…小さなところから頑張ってみます…

 

ほんと、表題の通り「明日は昨日のことをしているほど暇じゃない」もんなんですよねー。それに何より「明日の自分ほど当てにならないものはない」ことも経験上わかっているので…なのになんか夢見ちゃうんだよな~ 今日めんどくさがりの人間は明日もめんどくさがりに決まってるのに、な~んか「明日の私はきっと頑張れる!」とか思っちゃうんだよな~ いいかげん自分の性格自覚しようぜ自分…

 

とりあえず、なるべく今日のことは今日完結できるように心がけてみようと思います。

生田衣梨奈さんのファンになって2周年記念日

 

shinoeco.hatenablog.jp

 今日は私が生田衣梨奈さんのファンになって2周年の記念日です。

2年前の今日は有給をとって六本木ヒルズに「わたしのマーガレット展 ~マーガレット・別冊マーガレット 少女まんがの半世紀~」を見に行っていました。行きの電車に乗って少しして武道館のチケットを忘れたことに気が付きガックリしましたが、幸い早めに出ていたのでマーガレット展を見てから一度家に帰り、それから武道館に行きました。

あー、今思えばこの時は自分が生田さんファンになるなんて全く予感してなかったんだよな~ 嵐の前の静けさ?だぜ…へへへ…

 

生田さんに対する気持ちは去年と変わらずというよりは増加の一途です。だって日に日に進化する生田さんを見ていたら毎日好きな部分が増えちゃうんだからしょうがないじゃないねぇ。

私が見てきたこの2年だけでも、生田さんはものすごく変化していると思います。もちろん今でも自分をアピールすることを忘れない生田さんですが、グループ全体の事をすごく考える素敵なお姉さんになり続けていますし、歌やダンスも少しずつ自信をつけてきて前とは違う変化が見られるようになってきたなぁと思います。

あとはブログ、ブログですね。生田さんの色々な面をブログで表現してくれる(表現できるように?)なったなぁ~と思いながらありがたやありがたやと日々拝ませてもらっています。

 

いよいよ週末は福岡凱旋です。素敵な凱旋に少しでも花を添えられるよう、「あなたを大好きな人間がここにいますよ!!!あなたはこの世界に愛されていますよ!!!!とにかくありがとう!!!!!だいすき!!!!!!!!!という気持ちを、少しでも叫んでこれたらなー、と思っています。

 

生田さん、3年目もよろしくお願いします。

shinoeco.hatenablog.jp

「いつも楽しく働いてる先輩」になりたい

仕事をする上での目標というのは人によって色々とあると思うのですが、私にとってそのうちの一つに「後輩にとって『楽しそうに仕事をする先輩』と思ってもらえるような存在になりたい」というのがあります。

「いくつになっても意欲的に、前向きに仕事を取り組んでいる人だなぁ」と思われたいなぁ、と思っているのです。

どうしてそう思うようになったかと言うと、自分が「職場にどういう先輩がいてくれたら嬉しいか」と考えた時に、そういう人がいてくれたら励みになるな、と思ったからです。同じ職場にいるのが「お金のためには働くしかないからさ…」とどんよりした顔の先輩ばかりだったら、「続けていっても明るい未来の無い仕事なのかなぁ」と思ってしまいそうで辛いなぁ、と。やっぱり、その仕事が好きでいつも工夫、改善をすることを楽しんでくれる先輩がいたら嬉しいよなぁ、と思ったのです。

 

私自身は頭脳が明晰な訳でも無く、能率が良いとも言えず、てきぱきと行動することも得意とは言えないのですが、「工夫・改善するのが好き」ですし、「人にそれを伝えるのも好き」なので、インテリジェンスあふれるスマートな先輩になるのは難しそうですが、前向きに改善を続ける先輩にはなれるかなぁ、なりたいなぁ…と思っていまして。

 

長く続けて、後輩の励みに慣れたらいいなぁ、と思っております。もっと実力もつけていかないとなー!!!

社会に出て驚いたことと、主に学生さんに伝えたい、社会人は楽しいよ、という話

20歳を「大人」と言うのであれば、気がつけば年齢的には私もすっかりいい大人である。

中学を出て15で社会に出る人がいることを考えれば、私が社会に出たのはずいぶん後だった。それでももう「新米社会人」とは言えない年数、社会に出て働いている。

 

社会に出てみて驚いたのが、まず自分に対して。

自分は高校・大学は休まずに授業に出席する事ができない人間だった。遅刻するか、欠席するか、早退するか、のどれかがほとんどだった。病気だった訳でもなんでもなく、ただたださぼり癖のある人間だった。

バイトも根性無く辞めてしまったものもあるし、続かなかったものもある。

そんな私なので、果たして社会人として自分がきちんと仕事ができるんだろうか、そもそも毎日就業開始時間から働けるのだろうか、と自分のことながら非常に心配していた。

 

しかし驚いたことに、私は毎日就業開始時間から働いている。

そりゃあ何度か遅刻してしまったことはある。でも、基本的には毎日時間通りに働いている。今は朝から働くスタイルの仕事をしているが、毎日通えている。そして、当たり前と言えば当たり前なのだが就業終了時刻まで早退することなく働いている。

 

そして、自分で言うのもおこがましいが、仕事に対しては比較的積極的に取り組んでいると思う。中高時代幽霊部員で結局フェードアウトして辞めてしまった事を思い出すと、私にもこんな風に物事に取り組む力があったんだなと思う。

 

考えてみれば、大学のサークル活動、その後の専門学校の授業には自分は全出席だったし熱心に活動していたので、「好きだ!」「面白い!」と思える物にはそこそこ集中できる力はあったのかなと思う。

就職先は自分の希望の所に入れたし、入った後で実際の仕事と自分の能力の差に悩みはしたものの、今の部署の仕事は私にとっては非常に面白く、仕事量が多すぎる事を除いては特に不満は無い。だからこそ、毎日楽しいなぁと思いながら朝からせっせと働けるのかもしれない。

 

社会に出てみて驚いた、自分以外のことに対して、と言うか「大人」に対してのこと。

それは、大人ってすごい真面目に働いてるんだな、ということ。

いや、いますよもちろん。そうでない人も。でも、私が思っていたよりもずっと多くの人が、思っていたよりもずっと真面目に働いていました。と言うか、皆が真面目に働いてくれているからこそ自分が快適に日常生活ができていたんだなぁ、という事にすごく感謝するようになった。

 

例えばですけど、朝起きて、トイレに行く。電気がつくのは電力会社の人のおかげ。水が流れるのは水道局の人のおかげ。

駅まで歩く。信号が機能するのは公安委員会のおかげかな(詳しくない)。

駅に行く。駅員さんが朝からいてくれる。電車が時間通りに動く。運転手さんと車掌さんが電車を走らせてくれるし、もっと運行自体を監視しててくれる人もどこかのセンターとかにもいるんだろうな。

早朝にも関わらず、たくさんの大人が電車にゆられてる。こんな朝早くから出勤ですか。ちょっと皆さん働きすぎじゃないですか。

と言うか、私の駅は乗り換え駅ではないから、私の最寄り駅で降りてる人は多分駅の近くの会社に行って働く人だと思うんです。だとすると、もうこの時間から働き始めるってことですか。早いですね!!!

 

そして自分の職場に行っても、みんなばたばたと朝から晩まで忙しく働いている。他の会社の人と接する機会も多いのですが、皆さんまぁ熱心に働くものだなぁ、と思います。こんなにみんなが一生懸命に働いてこそ、「当たり前」の生活が成り立っているんだなぁとしみじみ思います。

 

みんなどうしてそんなに真面目に働くんだろうなぁ、と思います。

お金のため、というのもあると思います。真面目に働かないと、辞めさせられてしまうから。それも確かにあると思います。

でも、それだけかな?とも思います。

公務員批判みたいな感じで「どんな仕事をしても一定のお金がもらえるなら・一定のお金しかもらえないなら、人は働かなくなる」みたいな話を聞くことがあります。

でも、人間てそんなものかな?そんな程度の生き物なのかな??いやいや、そんなことないだろうと私は思っています。

(金銭的対価を求めない労働の方が金銭的対価を求める労働より素晴らしい、と言っている訳ではありません。念のため。)

 

自分が学生の頃は、自分が快適に暮らせいるのがたくさんの大人の努力のおかげなんだ、という事をわかっていませんでした。今思えば本当にありがとうございますだったよなぁ、と思います。

今も、「自分が生きていく上で必要なことに関わってくれた自分以外の全ての人に対してありがとうだよなぁ」と思っています。

 

私の好きな言葉に「人は、誰でも『誰かの役に立ちたい』と思っている」という言葉があります。

自分も大人になった今、何かの形で世の中の役に立ちたいなぁ、と思っているのだと思います。そして、「役立てたな」と思う時、嬉しい気持ちになります。

 

学生さんの中には、「社会に出るのって嫌だな~」とか漠然と思っている方もいると思います。

でも、社会に出る、という事は「何らかの形で人の役に立つことができるようになる」ということでもあるので、嬉しくて楽しいことだとも思います。

人の役に立てるようになるまでには、日々色々な努力が必要ではありますが、それもまた楽しいものです。

学生の皆さんには「学生時代とはまた違った楽しみがある、社会人時代をどうぞお楽しみに!!!」と言ってあげたいです。私は、社会人生活が好きです。

ダンスと同じで「考え方」もアイソレーションできた方がいい事が多い気がする

新しい考え方でもなんでもないんですが、最近「ダンスと同じで『考え方』もアイソレーションできた方がいい事が多い気がする」と実感したことが多かったので、そのことを書きます。

 

アイソレーションとはなんぞや?と言いますと、

アイソレーション (Isolation) とは、分離、独立、絶縁などの意味。以下の用法がある。

  • パントマイムストリートダンスにおいては、体の各部分を単独で動かすトレーニング。人間離れして見える動きの基礎となるトレーニングである。人間の通常の動作では、身体のひとつの部分だけを動かしているつもりでも身体のほかの部分がつられて動いてしまう。それを意識して分離してゆく。顔、首、肩、腕、手、指、胸、腰、足、さまざまな部分の切り離しが可能である。アイソレーションを訓練すると空間上の固定された部分、空間固定点 (fixed point) を作り出すことができる。そしてこの応用によって、実際には存在しない壁、階段、ドアなどを、存在感をもって現出させる動きが可能になる。

                    アイソレーション - Wikipedia

 と言うことなんですが、今回の記事ではもっとざっくり「細かい部分に分けることができること」という意味で理解してもらえればと思います。

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 例えば、ダンスの経験が無い人間は体を6分割ぐらいしかできません。それに比べて、少し慣れてくると体のパーツをもっと細かく分割して動かせるようになってくるので最初に比べると複雑な表現ができるようになってきます。


ケント・モリさんのダンス。すごく滑らかで複雑で、「自分と同じ『人間』なのかな?」なんて思ってしまいますよね。でももちろんケントさんと私達は同じ組織でできている人間な訳で、「どれだけ体を細かく分割して動かせるか」というのを極めていくと(もちろんそれ以外の要素もありますが)、基本は同じでもここまで差が出るのか、というのがすごくわかるなと思います。

 

体のアイソレーションで同じ人間でもこれだけ差が出るように、「考え方」のアイソレーションができるかできないかによっても、同じ人間でも大きく差が出てくるのではないかな。

そしてそれができるようになるには、体と同じく「頭」も鍛え続けないといけないのではないかな。

と最近思っています。

 

例えば、「物事白黒はっきりしていないと嫌!」というのは割とよく聞く言葉ですが、世の中白黒はっきりできない物の方が圧倒的に多いと思います。

そんな中、「白・黒」の2つしか選択肢がないと、「どっちでもない現実」に対応しきれない

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でも、「白・黒」の間にいくつも目盛りがあれば、「う~ん、10段階で言うとグレーの6ぐらいかな」と、「白・黒」に比べて選択肢が広がって、現実に対応しやすくなるし、自分の気持ちを細かく分析できる。

 

「白・黒」問題と同じぐらいよく話に出るのが、「好き・嫌い」問題。

私の実感で言うと、「好き・嫌いがはっきりしていないと嫌」と言う人は、その人が認知している全ての物事・人を「好き・嫌い」で分類したとするとそれが決して1:1ではない場合がほとんど。

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そして、左側のように「好き」の許容範囲が広い場合よりも、右側のように「嫌い」の範囲の方が広い場合の方が多い印象があります。

そして、それは個々の事象の好き嫌いを判断する時にも比例しているように思えるのです。例えばAさんという人を「好き・嫌い」で判断する場合、例えAさんの中に「好き」の要素があっても「嫌い」な要素が1ミリでもあれば「嫌い」グループに分類してしまう。これでは「嫌い」が増えていくにきまっているし、世の中が「嫌い」で増えていくのはどう考えても楽しくないんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

例えば、自分がAさんのことをこんな風に思っていたとします

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アイソレーション的考えができる人は、「Aさんのことは好きな要素の方が多い。ちょっと嫌だなぁと思うところもあるけれど、まぁでも一緒にいて楽しい部分の方が圧倒的に多いし、これからも仲良くしていきたいな」と思えたりするでしょう。

「白か黒か」派の人は、「嫌いな部分もあるけど、好きな部分の方が多いからAさん大好き!!」となってくれればいいのですが、今まで見てきた白黒派の人は「嫌いな部分が1つでもあるから嫌い!!」と言っていた人ばかりでした。「でもその分類法で行くと世の中に好きな人なんて一人もできなくない?あなたも周りも生き辛くない??」と思ってしまうんですよねぇ。

 

ちなみに私は誰かに対して「嫌い!!」と思ったりすることはもちろんありますが、少し落ち着いたら

  • その人のどういう部分を自分は嫌だと思うのか
  • それを嫌だと思うのは、自分の中にどういう価値観があるからなのか
  • その人を「好き」と判断している人達は、その人のどういうところに魅力を感じているのか
  • 「嫌だ」と思う要素を自分の好きな人も持っていたとしたら、その人の事も嫌いになってしまうのか

を考えて言語化してみるのが好きです。そういう作業をすることでただ「嫌い!!」と思っていた時とは少しだけ違う気持ちでその人の事を見る事が出来るようになる、優しく接することができるようになる気がしています。

自分の気持ちを「嫌い」という一語で「塊」として処理してしまうより、丁寧にほぐして理解した方が

  • 自分でも気づいていなかった自分の気持ちに気付くことができる
  • 「なんか嫌」で済ませていた時には相手の実態を事実に基づいて判断しようとせず勝手なイメージで判断していたことも多かった。しかし丁寧に分析をすることで相手を勝手に決めつけることが以前よりは減ったし、嫌いと思う原因が自分側にある事も多いことに気が付ける
  • 「100%嫌いな物事・人」が減って自分が楽になった。多分そういう私と接する方が、周りも楽だと思う

など、いいことが多いなと感じています。

 

自分の気持ちを細かく考えていくのも好きですが、(その人が本当は表現したいと思っているけれど上手く引き出されていない)人の気持ちを聞いていくのも好きです。

人の気持ちがだんだんと見えてくる喜びというのは、土に埋もれていた遺跡を丁寧に発掘していったら全貌が見えてきた時の喜びや、美術品を丹念に修復した時の喜びに似ているのかな、なんて思っています。

会話をしていく中で、その気持ちが見えてきて、相手が「ああ、私って、こういうことを考えていたんだ」とすっきりとした顔になることがごくまれにありますが、そういう時はこっちも嬉しい気持ちになります。

 

今後も、自分の心が「何か」を感じた時は「自分の頭で考える」という頭の運動を続けていきたいなぁと思っています。

最近、昔より色々なことを考えられるようになってきた気がして、すごく楽しいです。

読書感想文が苦手なあなたに いつかあなたのブログを読みたい私から

夏ですね。夏休みですね。

夏休みの宿題の定番「読書感想文」に悩んでいる人もたくさんいたりするのかなぁと思ったので、読書感想文を書くのに苦を感じた事の無い私なりに考えてみた、「こうすれば読書感想文って書きやすいんじゃない?」という方法を書いてみようかと思います。

 

先に断っておきますと、

  1. 目新しい話は何一つ無いです
  2. 素晴らしい内容の感想文が書けるか否かはとりあえず置いておいて、「特定の分量を書き上げ、とりあえず『書いて提出する』という目標を達成する」人向けの内容です

 

では本文。

 

感想文を書く場合、「本を一通り読み終えてから書く」方も多いのではないでしょうか。

私は学生時代はずっとこのスタイルで書いていたのですが、今思えばこの方法は効率が悪い&文章を書くのに抵抗のある人は「いきなり原稿用紙3枚を埋めなければいけない」という事実に筆が進まなくなってしまうのではないかと思います。

なので、おススメなのは「読みながら感じたことをどんどん、本自体や白紙に書きなぐってしまうスタイル」です。

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)

 

 私は何かを読む時に齋藤 孝さんの三色ボールペン方式(ざっくり言うと、客観的に見てまあまあ大事なところに青の線、すごく大事なところに赤の線。主観的におもしろいと感じたところに緑の線を引くやり方)を使っており、思ったことも欄外にガンガン書いています。

「思ったこと」と言うと何かしっかり考えたことを書くのかな?と思うかもしれませんが、全然そんなことはなく

f:id:shino-eco:20160802231737j:plain 受験のキモは3日で身につく (角川文庫)より

 

この程度です。「ツッコミを入れる」程度の気持ちでいいと思います。

このやり方をしながら読むと便利なのは、後から読んだ時に「自分がどの部分で心が動いたのか(どの部分を大事だと思ったのか・面白いと思ったのか)」がすぐにわかるところです。感想文を書くときに改めて「えーっと、どこが感動したんだっけな」と探しながらもう一度読み直す手間が省けるところもいい。

 

余白だけだとおさまらなそうな時や、書いていたらどんどん考えが膨らんでいった事に関しては思いついた時に思いつたままにとりあえず白紙に書きなぐってしまうことをおススメします。アイディアは思いついた瞬間から忘れていくので、覚えているうちに書いておくことが非常に大切です。整理するのはあとからいくらでもできる。この白紙はA4ぐらいがいいかも?

 

で、そんな事をやりながら一通り読んでみたら「あ~、ここに線を引いたな~」「ここにこんなツッコミを入れたな~」と思いながら本をもう一度めくっていき、特に心に強く印象に残った言葉に関しては

「その言葉を白紙に書き写す」→どうしてその言葉が印象に残ったのか、その言葉に心を動かされたのかを思いつくままに考えて書いてみる

という作業をしてみるといいかと思います。これも、整理するのはあとからどうにでもなるので言葉が思いついた瞬間にとりあえずどんどん書きましょう。この白紙は印象に残った言葉ごとに紙を分けて書いて、一枚はA5ぐらいがいいかも?

 

ここで陥りそうなのが

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」(書き写した言葉)→かっこいいと思ったから

みたいに書いてしまうパターン。そうではなく、「どこの、どんな部分があるから、どうしてかっこいいと思ったのか」まで考える必要があると思います

 

そんなことを1冊分(そんなに検討するなんてめんどくさいよ!!という方は読んでいる途中に「ちょ!これ超すごいんですけど!!!」みたいな部分が来たら線を引くだけでなく付箋も貼っておいて、後からそこだけに注目して)やってみると、あ~ら不思議、すでに原稿用紙3枚分以上の言葉がそこに!!

あとはその紙を印象に残った順に並び替えてみたり、似た感想でグループにしてみたりしながら、印象トップ3を述べたり(書くのが苦手な人にはこれが手軽でいいかも)、自分の感想の傾向を探ってみたり、読んで自分なりに考えたことをまとめれば感想文のできあがり!!になるかと思います。

 

文章を書くのって楽しいな~と思う人が一人でも増えて興味深い個人ブログを書いてくれる人が一人がでも増えてくれたら嬉しいな~!と常々思っているので、この文章を読んだ人がいつか一人でも個人ブログをはじめてくれたら嬉しいな~!!と思っています!!

自分の行動で自分に自信をつけたい

何かを自主的に丁寧にコツコツ積み上げて達成した、という経験がほぼありません。

 

例えば、夏休みの宿題とか。(最後の日にやっつけのようにやる。むしろもうやらない)

例えば、同人誌の原稿とか(丁寧に仕上げられたと言えるのは人生で初めて出した本ぐらい)

例えば、大学受験とか(一応なんとか受かりはしましたが、受験にかけられた時間を考えると、とても全力で打ち込んだとは言えない結果でした)

 

今はとりあえず社会人をしていて生活できるぐらいのお給料はいただいており、多分このまま生活して行っても誰かから「お前は何かを自主的に丁寧にコツコツ積み上げて達成したことがない奴だな」と咎められることも無いと思います。

 

でも、自分が、嫌なんです。

自分がコツコツ生きてきて来なかった結果、今の自分があるんですけど、このまま「何かを自主的に頑張って取り組んで達成したな」と思えないまま、「私ってそういうのどうせ無理なタイプだから…」と卑屈な気持ちのまま死んでいくのは嫌だな、と思ったんです。

 

だから、というだけが全ての理由ではないんですけれど、今、とある試験に向けて勉強をしています。ある程度の準備をしないと受からないような、試験に向けて。

単純に、その試験に受かりたいという気持ちももちろんあります。でも、それ以上に私は「何かの目標に向かって、自主的に取り組んで目標を達成した」という経験が欲しいんだと思います。

 

今までは、目標を決めても3日坊主のことが多かったのですが、今回は私にしては珍しく継続していて。もうダメかも、と思う場面もあったんですがなんとか乗り越えられたので、なんとなく今、「ここまでこれたから頑張れるかも…!」という気持ちになっていて。

なんとか目標達成まで頑張りたいなぁと思い、文章で今の気持ちを書いておくことが今後のやる気につながるかもしれない、と思ったので書いておくことにしました。

 

小さなうちにコツコツから逃げると、大人になって苦労するね。

でも、いくつからでも、やろうと思ったら「もう遅いし…」なんて思わないでその瞬間からやった方がいいと思っているし、その時から頑張るしかない、とも思っているので。

頑張ってみまーす。