「うつヌケ」体験者からうつ未経験の方(特にこれから社会人になる方)へ
twitterで見かけて気になっていた本を買いました。
「うつトンネルを抜けた人たち」=「うつヌケ」した方々のことを描いた漫画です。作者である田中さんもその一人。
作中に①「うつの原因は『自分をキライになること』『自己嫌悪』」とありました。
そして②「どうしたらいいか」というと「自分を好きになる・認めること」とありました。
目新しい話ではないのかもしれないですが、改めて「ほんとにそうだなぁ」と思いました。
どうしてそんなに心にしっくりきたのかと考えると、多分私にも「うつヌケ」の体験があるからです。
なぜ「多分」なのかと言うと、今までその時のことについて自分では「うつ」だと思っていなかったので病院に行って診断を受けた事はないのです。
でも、今回漫画を読んでみて「ああ、多分あれは行くところにいけば『うつ』と診断されてもおかしくないものだったんだろうなぁ」と感じました(と言うか、お医者さんは体の不調を訴えて受診してきた人にはとりあえずうつかどうかを(自覚ども含めて)判断するしつもんをしてみてくれたら嬉しいなぁ!と思いました)。
私はおそらく基本的には楽天的であり、家族や友人には恵まれているタイプの人間です。
そういう私でもこういう事があった、というのを参考に読んでいただければ幸いです。
1.就職前
就職前に、インターンをしていた時期がありました。すごくやりたかった仕事でしたし、インターンができること自体嬉しくもありました。
ただ、やはり理想と現実は違いました。私の場合、会社や仕事内容が「思っていたのと違った」のではなく、「自分自身が思い描いていた『私はこの業界に行ったらこんな風にいい仕事ができるだろう』という姿と、実際の自分自身の姿に大きく差があった」のです。
今思えばどんだけ自分に自信があったんだよとも思いますが、そこは若者らしい自意識過剰さと言いますか。自分に期待していた分、その理想とのギャップに1人で勝手に苦しんでいました。
また、よくある話なんですが周りのインターン仲間が自分よりとても優秀に見えまして…(今、客観的に振り返っても彼らは自分よりとても優秀ですが)。彼らに比べて自分の能力が色々な面で劣っていることに自己嫌悪をしていました。「私は彼らよりできないことは多いけど、それはそれで今の自分として受け止めよう」と思えればよかったんですけどね。そうは思えなかったんですよね。
そんなある日、インターン生達で関連部署の見学に行くことがありました。その部署自体もとても興味がありましたし、そこの方のお話もすごく興味深かったんですが、帰り道で涙が急に止まらなくなってしまったんですよね。バスの窓側の席に1人で座っていたのですが、自分でもどうしていいかわからなくてとりあえず窓の方を見ながら静かに涙を流し続けました。
ちょうどその頃はインターン期間の中でも私にとっては苦手な課題が多い時期で、皆との差をいつも以上に痛感しない訳にはいかない時期でした。且つ指導員的な立場の人からは「しのざきさん、頑張ってね」と言われることも多く、その笑顔ではあるけれども(他の子は普通にこなせてるんだからあんたももっと頑張りなさいよ)というニュアンスの込められたその言葉にも私はプレッシャーを感じていたのです(これに関しては今でも、被害妄想ではなくそのニュアンスが強く込められていたと思う。指導員さんは若くて生真面目なタイプの女性だった)。
そういう色々な要素が重なって、冒頭の文章でいう所の「自分をキライになる」機会がかなり多くなっていたのだと思います。そしてその事で心がだいぶ弱っていたのに、その事に私が自覚をしないから体が涙という方法で教えてくれようとしたのだろうなぁと。結局その時は気付けなかった、というか「こんなので辛いと思っちゃいけない」と思ってしまったのですけど。
このインターンはなんとか自分をだましだまし続け、終了しました。
そして↑のインターンが終わった後、割と間をあけずにまた別の所でインターンをすることがありました。正直一つ目のインターンでの鬱々とした気持ちを引きずっていたので人生で1,2を争う程陰鬱とした雰囲気でインターン生活を送ってしまいました…。当時お世話になった方々には今でも本当に申し訳ないと思っています…。
この時期をどうやって乗り越えたかというと、正直上手く折り合って乗り越えたというよりは、先ほども書いたようにだましだまし無理矢理続けた…という感じでした。「この仕事に就きたい。そのためにはこのルートを行くしかないんだ」という気持ちだけで無理やり続けた感じです。なので、結局それが就職後にも尾を引くことになっていきます。
2.就職後①
その後希望していた業種の仕事に就くことができ、私は一人暮らしをはじめました。
一人暮らしは寂しいものかしら、と思っていましたが仕事自体が割と人と話す事が多かったおかげか、そこは特に寂しさを感じませんでした。
ただ、私の職場には「新人を育成する体制」が整っておらず「仕事の弱音を吐ける同期」もいませんでした。「もう社会人だぞ!生ぬるい事を言うな!」と思う方もいらっしゃるでしょうが、当時の私にとっては二つとも必要な物でした。
同じ会社に同期はいるにはいたのですが部署が違ったので会う事も少なく、また仕事経験もやる気も高い方々だったので「一緒に愚痴を言い合う」みたいな雰囲気にはなりにくかったんですよね。
そして「説明してもらおうなんて思うな。背中から感じろ!」という風習が色濃い業界なもので、「教えて下さい」と言うのも憚られてしまって「教えて下さい」も「助けて下さい」も言えませんでした。今思えば「すいません本当に何もかもがわからないので言葉でも教えて下さい」と頭を下げればよかったのかなと思うのですが、社会人1年目の私にそれはできませんでした。「役に立たない新人だと思われちゃいけない」、そういう思いで必死でした。
そんな職場で、それでもその仕事に就けたことは嬉しくて。「いい仕事がしたいな」という気持ちは一応あって。普通に雑談ができる人はいたんですが、「この程度で辛いって言っちゃいけないんだろうな」と本当に弱音を吐くことができる人はいなくて。
ある日いきなり高熱が出ました。
その日は大きなプロジェクトの実行日で、「こんな大切な日に体調不良とか言えない…」と思い、何とか会場までは行きました。ですが、着いた途端、どうにも不調をこらえられなくなりおでこを触ると、触っただけでもわかるぐらい高熱が出ていました。
その状態では帰宅するより仕方がないということで会場から一人でふらふらになりながらなんとか家に帰りました。その後も謎の高熱は続き1週間休みました。
自分では何が原因か全くわかりませんでした。心の不調とは全く思いもしませんでした。ただただ、仕事を休んでしまい皆さんに申し訳ないと思いました。大した仕事はできませんでしたが、休むと迷惑にはなるだろうと思っていたのでした。
その後復帰して、さぁ今度は頑張るぞー!と思っていたのですが、その後も咳は止まりませんでした。病院の先生に「肺炎になりかかっているし、一人暮らしなら入院して集中的に治療するっていう手もあるよ」と言われました。その言葉を聞いて、「今入院したら職場に迷惑がかかることはわかる。でも、正直今ものすごく入院したい。入院したいと思っている自分がいる」と思いました。そして入院をすることにしました。
4人部屋でした。点滴を打ってもらい、持って行った本を読んだりもしましたが、自分でも驚くぐらいたくさん眠りました。食事の時間以外はほとんど寝ていました。
同部屋は50代と60代と70代の女性でした。それぞれ入院が初めてではなく、重い病気の方もいました。でも、皆さん明るくて優しかった。
実家から父も見舞いに来てくれました。いつもならこういう時は母が来そうなものですが、ただのちょっとした体調悪化ぐらいに思われていたので当時忙しかった母は珍しく病院に来ませんでした。今思うと、もしあの時母が病院に来ていたら何か変わっていたかもしれません。でも、今までの全てがあったからこそ今があるのだと思えば、あの時偶然母が病院に来なかったというのは、良かったんだと思います。
ゆっくりと安静な時間を過ごす事で咳もおさまり、体調は順調に回復し、私は退院しました。そして、病院を一歩出た途端、浮遊めまいがはじまったのです。
これにはものすごくびっくりしました。あれ、どうしたんだろう。病院にいる間はこんなこと一度もなかったのに。今思えば心に対するケアを何もしていなかったのですから「まだ会社に行きたくないよー!!本来の傷は何も回復してないよーー!!!!」という心の叫びだったのでしょうね。でも、当時は全く気付いていなかった。
めまいは1日中続くものではなく、たまに発生してはおさまり、という感じでした。なので、「こんなに休んでしまったのにまためまいが始まったと言う訳にもいかないし、1日中めまいが続いている訳ではないんだからなんとかなるだろう」と思い、私は仕事に戻りました。めまいに関して色々な診察を受けましたが、原因はわかりませんでした。そして1週間もするかしないかといううちに仕事中に立ちくらみがして涙が止まらなくなってしまいました。すぐに家に帰らされ、当面休ませてもらうことになりました。
いよいよ私は「これは一度実家に帰ってじっくり休ませてもらった方がいいな」と思い、実家に帰りました。
当時の事はあまり覚えていないのですが、実家では一日ごろごろ、ぐだぐだと過ごさせてもらったのだと思います。そんな過ごし方をする娘に両親は何も言いませんでした。非難めいた言葉を受けたことは一度もなかった。私の両親は昔から私の事を愛してくれていました。
今思うと、その「無条件の肯定感」が家にいる間に充電されたのかなぁと思います。少しずつ、溜まっていったのだろうなぁと。
そしてある日、親友とごはんを食べる機会がありました。親友も、私がそんな状態になったからと言って何かを言ってくる子ではありません。私はその日もめまいが続いており、ごはんを食べながらもなんとなくの浮遊感はありました。
そして、それは突然やってきました。ごはんを食べながらふと、(うん、でもまぁとりあえず今のままの私でなんとかやっていくしかないんだろうな)と思った瞬間、ウソみたいにめまいが消えたのです。それは本当に魔法のようでした。そしてその時ようやく、私はこれまでの体調不良やめまいが心因性のものだったんだ、ということに気が付いたのです。いや、正確に言うと(もしかして心因性のものだったのかな)ぐらいに思えたのです。今思えば完全に心因性です。
その後仕事に戻ってからは、上手くいかない事があっても(まぁ、でも今の自分はこうなんだしな)と思う事ができるようになり、再度体調が悪くなることは無くなりました。一連の体調不良の事を話せる、そしてそれを受け止めてくれる先輩に出会えたことも回復が継続する支えになったと思います。
3.就職後②
それから数年感は特に心身のバランスを崩す事もなく仕事ができました。支え合って仕事をしていける仲間が増えた、自分の仕事に少しずつ自信を持てるようになってきた、というのがあったからだと思います。
そして数年後、私は今までとは違うグループで仕事をすることになりました。
そこのリーダーは仕事ができることで有能な人でした。実際個人の仕事力は高い方だと今でも思っています。
ただ、「個人としての仕事力が高いこと」と「リーダーとしての能力が高いこと」は必ずしも一致する訳ではありません。そしてその方は「人の好き嫌いがはっきりと態度に出るタイプ」「仕事を人に任せるのが苦手なタイプの人」でした。
グループの中でもその人の「好きな人」と「好きではない人」ははっきりとわかりました。また、「好きではないのだろうけど立場的にいい顔をしておいた方がいい人」というような区分もあるんだろうなぁ、というのがわかる人でした。
私はその人の中で、10段階でいう所の「3.5:元々好きでもないし、こいつに優しくすることが出世にいい影響を与えるということもないだろうから適当に扱っておけばいいだろう」ぐらいの扱いを受けているなぁ、と感じていました。
同じグループの中に9ぐらいの扱いを受けている人もいたのでその事自体も寂しかったのですが何よりも辛かったのは、リーダーが一生懸命仕事をしようと頑張っている人の事を馬鹿にして「2」ぐらいの扱いをしているのを見ることでした。確かに少し空回ってしまうところもある人だったけど仕事に対する熱意は人一倍あったしいい部分もたくさんある人だったのに(現に前のグループではそういう扱いを受けていました)、リーダーがそういう部分を見ようとせずに陰でその人の悪口を言っているのを見るのが嫌でした。「2」の人はリーダーからそんな扱いを受け続けたので、次第にやる気を失っていきました。
また、そのリーダーは「何でも自分でやってしまった」ので、ありがたい部分もあったのですが、私も元々大切に扱われていない組ではあったので「結局何にも任せてもらえない…信用されていないんだろうなぁ」というスパイラルにどんどん陥ってしまい、「仕事、面白くないな。行きたくないな」と思う日が増えました。それまでの数年間で先輩から大切にされたり、仕事でそれなりに大切な仕事を任せてもらえる経験もしていたので余計につらかったのだと思います。
そしてその日も突然やって来ました。
就業時間近くになった頃、「お腹が痛い」と思って職場でトイレに行きました。私は普段からお腹が弱くてしょっちゅうトイレに行きたくなるのでいつものやつだろうと思っていました。
しかし時間が経っても経っても腹痛は一向におさまらない。これはまずそうだ、と思い何とかトイレから出られるタイミングを見計らって、その日は家に帰らせてもらいました。
なんとか家にたどり着き、トイレに籠る…しかし籠ったところで何もならないので布団に戻る…しかしお腹が痛くてとりあえず再びトイレに籠る…しかし籠ってもどうにもならない…の繰り返しでした。普段だったら布団に戻れば眠気が来るのにその日は腹痛が酷すぎて全く眠れませんでした。
もう少し、もう少しだけ我慢してみよう。そう思って過ごしていましたが、結局10時間近く経って明け方になっても痛みが引かなかったのでやむを得ず救急車を呼びました。今思えば10時間も激痛が続いたなら遠慮なく救急車を呼んで良いのではないかと思えるのですが、当時は(腹痛程度で呼んでしまっていいのだろうか…)と思っていました。普段は図々しいくせに謎な所で弱気なのでした。
結局病院に運ばれましたが痛みの原因はわかりませんでした。何もしない訳にもと思ったのか、点滴を打ってくれました。なぜだかよくはわかりませんでしたが、とりあえず歩けるぐらいには元気になり、タクシーで家に帰りました。
以前の体験があった私は、「周りから見たら『そんなことで!?』と思われるかもしれないけど多分、今回の腹痛はリーダーと一緒に過ごしていることで引き起こされたものだ。今の私は、あの人と一緒に仕事ができるだけの力を持ってはいないのだ」と気付くことができました。
そして、私を気にかけてくれている上司に「無理なら仕事なのでしかたないのですが、もし可能なのであれば異動の機会の時に、私をあのリーダーとは別の配置にしてほしいです」とお願いしました。ちょうど別の部署で私の持っている技能を募集しているところがあり、私はほどなくして異動することができたのでした。
異動先では部下を大切にしてくれるリーダーの元で働くことができ、また技能を生かした仕事を与えてもらって皆から感謝してもらえることも増えたのでまた毎日楽しく働けるようになりました。
当時はもう今の旦那さんとつきあっていたのですが、異動して少ししてから「元気になってよかったね。去年(胃痛時代)は辛そうだったもんね。それまで仕事行くの楽しそうだったのにすごい暗い顔してたもん」と言われました。
「えっ!!気付いてたんなら教えてよ!!!!」と思いましたが(笑)、旦那さんにもわかるぐらいどんよりしていたんだなぁと思いました。
自分の傾向
私は、自分が「こんなことを辛いと思っちゃいけない。もっと辛い人はたくさんいる。こんなのも辛く感じるなんて情けない」と思って我慢して我慢して、限界まで来ると「体の激痛=もう無理だよ!!というサイン」で気づかされるタイプなんだ、ということが今までの経験からわかっています。
なので、今では「まぁ周りからは情けないと思われるかもしれないけどさ、今の自分にはそれが辛いんだからしょうがないじゃん。辛いもんは辛いよ~」と受け止めるように心がけています。
その上で、「辛い、からどうしようかな~。逃げるのは最終手段にしたいからな~。辛い『けど』今の自分でどうにかできたら嬉しいよな~。何か人や物の助けを借りられないかな~、何があるかな~」みたいに考えるようにしています。
案外「困ってます~ 誰かちょっと助けてくれませんか~」と言うと世の中の人は親切に手伝ってくれるものだということも知っています。そして自分が少しだけ余裕のある時は「その分だれかにお返ししたいな」と思ってお手伝いをしています。
職場では
今のところ楽しく働けていますし、私もいい年なのでなるべく新人さんに気を配ってあげたいなと思っています。
これから社会人一年目になる方には「先輩達は自分達の1年目の時を振り返ると1年目がどのぐらいのものかはわかっているから、そんなに頑張りすぎなくて大丈夫だよ」と言ってあげたいです。
これは別に「お前になんて期待してねぇぞ」って事じゃなくて。「こんな事もできなかったら先輩たちにがっかりされるんじゃないか…」と思う事も多いと思うのですが、新人さんはできない方が普通ぐらいだと思います。むしろ一回で全てができてしまったら先輩の立場がない(笑)。
あと、職場のメンバーは自分にとって働きやすい人がたくさん集まってくれるに越したことはありませんが、現実的には誰と一緒に働くことになるかはわかりません。そういう「自分でコントロールできない部分」はどうしようもないですが、「一緒になった人達と働きやすい環境を作っていくこと」は自分でできる部分だよなぁ、と最近は考えています。
私は安室奈美恵さんの「Chase the Chance」の中にある「つまらなければおかしくすればいい」という歌詞が昔から好きです。「誰かがおかしくしてくれるのを待つ」んじゃなくて、自分で動いて「おかしくしたいなぁ」、と思うのです。
職場以外
ありがたいことに今は家に帰ると旦那さんがいてくれ、旦那さんが「この人は私のことが大好きなんだなぁ」と思わせてくれる人なので、そのことがとても心の安寧につながっていると思います。
何かで「自分で能動的にやるタイプの趣味と与えてもらうタイプの趣味があるといい」と読んだのですが、私にとって能動的な趣味というのはこのブログだったりTwitter、同人活動等が当たると思います。
また、ハロプロやゲーム、最近だとNEWSさんもそうですが「与えてもらう趣味」にもいつも元気をもらっています。仕事で「疲れたな~」と思う日があっても、帰りに生田衣梨奈さんのブログを読むだけで即ハッピーでニコニコになれます。アイドルさん達ありがとう!!!!
仕事とは全く関係ない人間関係の場所が何個かあると、楽になれるのかな~と思います。「今はこの気分だからこの人と会いたーい!」と思える友人がたくさんいるのも、ありがたいです。
おわりに
これはうつに限ったことではないのですが、人間は「うつになる人」と「ならない人」みたいにわかれているんじゃなくて、敢えて言うなら「既にうつになったことがある人」と「まだなったことが無い人」に分かれているだけなんじゃないのかな、と思っています。「全ての人がうつになる可能性がある」のだと、私は思っています。
なので、まだなったことのない人も「私は大丈夫!」とは思わずに自分の事を大切にしてほしいですし、もしなったとしても「あ、これが例のうつってヤツか…」みたいな感じで、慌てずにせっかくの機会なのでちょっとゆっくりご自分の気持ちを味わってみてほしいなぁと思います。
長くなってしまいましたが、色々と考えるきっかけを下さった田中圭一さんと作中の皆さんに感謝しつつ、今回はおしまいとさせていただきたいと思います。
自分の気持ちを振り返ったり整理することができて、とても楽しかったです。